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大阪高等裁判所 平成7年(ネ)1750号 判決 1998年2月27日

主文

一  原告らの被告府に対する控訴に基づき、原判決主文第一ないし三項及び第四項中同被告に関する部分を次のとおり変更する。

1  被告府は、原告Vに対し、金三七四万〇八〇〇円及びうち金三四〇万〇八〇〇円に対する昭和六一年二月一四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告府は、原告W、原告Y及び原告Xのそれぞれに対し、各金一九九万〇八〇〇円及びうち金一八一万〇八〇〇円に対する昭和六一年二月一四日から支払い済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

3  被告府は、原告Zに対し、金二八七万一六〇〇円及びうち金二六一万一六〇〇円に対する平成元年三月一七日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  原告らの被告府に対するその余の請求を棄却する。

二  原告らの被告国に対する控訴及び被告府の控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じ、原告らに生じた費用の各五分の一を被告府の負担とし、被告府に生じた費用の五分の四及び被告国に生じた費用のすべてを原告らの負担とし、各当事者に生じたその余の費用は各自の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

【甲事件】

原告らは、「一 原判決を次のとおり変更する。二 被告らは、各自、原告らそれぞれに対し、金二一〇〇万円及び内金二〇〇〇万円に対する昭和五四年三月八日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。三 訴訟費用は、第一、二審とも被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被告らは、「一 原告らの控訴を棄却する。二 控訴費用は、原告らの負担とする。」との判決(被告国は、仮に仮執行宣言がなされる場合には担保を条件とする仮執行免脱の宣言)を求めた。

【乙事件】

被告府は、「一 原判決中被告府敗訴部分を取り消す。二 原告らの被告府に対する請求をいずれも棄却する。三 訴訟費用は、第一、二審とも原告らの負担とする。」との判決を求め、原告らは、「一 被告府の控訴を棄却する。二 控訴費用は、被告府の負担とする。」との判決を求めた。

第二  事案の概要

一  事案の要旨

本件は、本件刑事事件(強姦、殺人、窃盗被告事件)で取調べを受け、起訴され最終的に無罪となった原告らが、被告府の警察官により暴行等を受けて意に反して自白させられ、検察官により違法に起訴(原告Vは昭和五四年二月一七日、その余の原告ら四名は同年三月八日)されたとして、被告府及び国に対し、国家賠償法に基づき、原告らが被った損害のうち慰謝料を各三〇〇〇万円とし、その一部として各二〇〇〇万円及び本件訴訟の弁護士費用として各一〇〇万円の賠償、並びに右各二〇〇〇万円について原告らに対する最終起訴の日である昭和五四年三月八日から各支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めた事案である。

二  前提となる事実(証拠を摘示したもの以外は争いのない事実である。)

1  本件刑事事件の端緒から原告らの逮捕に至るまでの経緯

(一) 本件刑事事件の端緒と捜査本部の設置

原判決八頁一〇行目から九頁七行目までに記載されているとおりである。

但し、九頁七行目の「丙一〇」の次に「、証人平野雄幸」を加える。

(二) 新聞報道(一月二二日夕刊)

原判決九頁九行目から一〇頁六行目までに記載されているとおりである。

但し、九頁九行目の「一月二二日夕刊は」を「一月二二日朝日新聞夕刊は」と改める。

(三) 現場の状況

原判決一〇頁八行目から一六頁九行目までに記載されているとおりである。

但し、一六頁三行目から四行目にかけての「(頭毛、陰毛)」を削除し、九行目の「九一」を「九二」と改める。

(四) 鑑定結果(被害者の死因及び死亡推定時刻等)

原判決一六頁末行から一八頁六行目までに記載されているとおりである。

(五) 新聞報道(一月二三日朝刊)

原判決一八頁八行目から一九頁八行目までに記載されているとおりである。

但し、一八頁八行目の「一月二三日朝刊は」を「一月二三日読売新聞朝刊は」と、一九頁八行目の「判断していると報じている」を「判断していること、一月二二日午前零時すぎ、現場付近で女性の悲鳴を聞いたとの中学生の証言から、捜査本部は、犯行時間を同日午前零時すぎころとみていることを報じている」と各改める。

(六) 被害者の判明

原判決一九頁一〇行目から二〇頁三行目までに記載されているとおりである。

(七) 原告ZのF(被害者の内縁の夫)に対する自供

原判決二〇頁五行目から二一頁二行目までに記載されているとおりである。

但し、二一頁二行目の「拇印を押している」の次に「(甲一七九、二九五、三二〇)」を加える。

(八) 原告Zの新聞記者に対する説明

原判決二一頁四行目から二四頁四行目までに記載されているとおりである。

(九) 原告Zの出頭、自白、逮捕

原判決二四頁六行目から二五頁八行目までに記載されているとおりである。

(一〇) その他の原告らの逮捕

原判決二五頁一〇行目から二六頁八行目までに記載されているとおりである。

但し、二五頁末行の「朝日新聞に同原告の出頭が報道されたため」を「朝日新聞朝刊(早版の投函は午前三時ころ)に原告Zの出頭が報道された(丙一一、証人平野)ため」と改め、二六頁一行目の「一斉に逮捕することになり」の次に「(丙一〇)」を加え、二行目の「勤務先の乙山食品寮のU方で(甲一二〇)」を「乙山食品寮内のU(原告V及び同Wの父親)方(甲一二〇、乙三七の5、6)」と改める。

2  警察における取調べ

原判決二六頁九行目の「(この項は」から二八頁六行目末尾までに記載されているとおりである。

3  逮捕時の原告らの年齢等

右逮捕当時(昭和五四年一月二七日)、原告Vは二一歳(昭和三二年一二月二六日生)の成人であったが、原告W(昭和三五年一〇月六日生)、同X(同年五月三日生)、同Y(同年九月七日生)及び同Z(同年一二月四日生)の四名は、いずれも一八歳の少年であった(乙三七の1、3、5、7)。そして、原告Vと同Wは兄弟で、同原告らと原告Yとは従兄弟であり、原告らは遊び仲間であった(甲一二五)。

4  証拠関係(物的証拠の概要)

物的証拠の概要は、原判決二八頁一〇行目の「(この項は」から三〇頁五行目末尾までに記載されているとおりである。

但し、二九頁一〇行目の「五〇」の次に「。なお、甲五〇には、足跡痕五三個の鑑識結果が記載されているが、添付の採取足跡位置見取図によれば備考欄の採取番号二七は採取されていない」を加える。

5  起訴及び公訴事実

原判決三〇頁七行目から三二頁九行目までに記載されているとおりである。

但し、三一頁二行目の「公訴事実の要旨は次のようなものであった」の次に「(甲三四四)」を加える。

6  判決(刑事第一審判決・刑事控訴審判決・刑事再審判決)

原判決三二頁末行から三四頁九行目までに記載されているとおりである。

7  刑事補償

原判決 三四頁末行から三五頁三行目までに記載されているとおりである。

三  原告らの主張

1  被告府の違法行為

原告らは、本件刑事事件についていずれも無罪である。しかるに、原告らは、いずれも原判決三五頁九行目から四七頁五行目までに記載のとおり、同事件の捜査段階において、被告府の警察官の暴行等(暴行、誘導、強制)により、意に反する自白をさせられたものである。

但し、原判決三九頁二行目の「自宅」の次に「(父親方)」を加え、四五頁八行目冒頭から九行目の「取調べを受けた。」までを「原告Zは、一月二六日午後一〇時三〇分ころ、Fに連れられて貝塚署に出頭し、角谷警察官の取調べを受けた。」と、四六頁一行目冒頭から四行目の「取調べを受けた。」までを「原告Zは、同日(一月二六日)午後九時ころから翌日(同月二七日)午後四時までずっと取調室に留められ、その間(二七日)午前七時ころから一時間別の部屋に移されたのみで、留置場に移されず、取調室で一夜を明かした。そして、同日(二七日)午前八時から午後四時ころまでは北川警察官ほか一名の取調べを受けた。」と各改める。

2  被告国の違法行為

(一) 起訴の違法性

原判決四七頁八行目から四八頁四行目までに記載されているとおりである。

(二) 起訴時点における証拠

(1) 物証関係等

原判決四八頁七行目から五二頁八行目までに記載されているとおりである。

但し、五一頁二行目の「五二個」を「五三個」と改める。

(2) 自白関係

原判決五二頁一〇行目から五四頁九行目までに記載されているとおりである。

(3) アリバイ関係

本件刑事事件の犯行当時、原告らは、左記<1>、<2>のとおり二つのグループに別れ、いずれもアリバイ証人(L、D子、R子、O、Pら)が存在した。甲田検察官は、右アリバイ証人の存在を十分認識、把握しており、原告らにアリバイのあることを十分に解明し得る立場にあった。

<1> 原告Vと同Zのアリバイ

原告Vと同Zは、一月二一日夜七時ころから貝塚駅前の「水車」という喫茶店で、YやW及びその他の友人らとコーヒーを飲みながら談笑したり、ゲームをしながら遊んでいた。午後九時ころVらは水車を出て、貝塚駅で二手に別れ、VとZは、当時Vが泊まり込んでいた友人L方に向かった。L方は貝塚駅から南海電車本線で更に南に下がった泉佐野市羽倉崎にあり、Lは内縁の妻であるM子及び友人であるNと同居していた。Vらが午後一〇時ころL方に着くと、Lらは既に寝ついており、同人らを起こして部屋に入った。その後一緒にテレビを見ながら談笑し、午前二時ころ就寝した。その間テレビ番組としては、パンチDEデート、日曜洋画劇場、深夜番組ソウル・トレインなどを見たというのが、VとZの当夜の行動であった。これによれば、VとZは、午後一一時三〇分ころ貝塚の本件犯行現場付近において本件犯行に関与することは不可能であり、十分にアリバイが成立するものであった。

<2> 原告Y、同W及び同Xのアリバイ

原告Y、同W及び同Xの三名は、当夜(一月二一日午後)一〇時すぎころから岸和田市門前町にあるXの叔母(C)の家(門前町の家)で友人達(D子、R子、P、O)と酒を飲みながらテレビを見たりして談笑していた。YとWは、VやZと一緒に貝塚駅前の喫茶店「水車」で午後九時ころまで遊び、貝塚駅でVらと別れると羽倉崎とは反対方向の岸和田市に行った。検察官の冒頭陳述(甲三四五)によれば、Xも水車で一緒に遊んでいたようになっているが、当日Xは水車には行っていない。YとWは、岸和田駅でXやD子、R子、P、Oと合流し、タクシーで門前町の家に行った。X、D子、P、Oが乗車したとしているタクシーの運転手の運転報告書(甲三三八)によれば、同日午後九時二〇分ころ岸和田から門前まで男三名女一名の乗車記録が残っている。そして、午後一〇時ころから門前町の家で一緒に酒を飲んだのである。この時一緒に酒を飲んだP、OらがYらのアリバイ証人となるはずであった。

しかるところ、右<1>、<2>のアリバイ証人らは、当初、警察官に対し、原告らのアリバイを申し立てていたにもかかわらず、警察官の暴行、脅迫による違法捜査の結果、逆にアリバイ工作を頼まれた旨の供述調書を作成されてしまった。

加えて、甲田検察官は、原告Vらのアリバイ証人の一人であるLに対し、証拠隠滅容疑による逮捕、勾留をし、アリバイ供述の変更をさせているし、原告Yらのアリバイ証人であるP、Oについても、警察を指揮して、予めアリバイを潰しておく意図のもとに、同人らを取り調べている。しかも、原告Yらのアリバイ証人であるD子、R子の供述につき、アリバイを裏付ける方向での捜査(タクシー会社への照会等)が当初はなされていない。

また、甲田検察官は、二月一五日、原告Yからアリバイがある旨の訴えを聞かされたにもかかわらず、右訴えに謙虚に耳を傾けることなく、これを撤回させるべく警察に指示し、Yは警察官の暴力的取調べのため、アリバイ主張を撤回せざるを得なかった。しかも,同検察官は、Yからアリバイ供述を聞かされながら調書を作成していない。

このように、甲田検察官には、原告らやアリバイ証人の供述に対し、謙虚に耳を傾け、実体的真実を解明しようとする姿勢は全く見られず、およそ検察官としての責務を放棄しているとしか言いようがない。

(三) 通常要求される捜査の不履行

原判決五六頁二行目から八行目までに記載されているとおりである。

3  損害

原判決五六頁一〇行目から五七頁八行目までに記載されているとおりである。

四  被告府の主張

原告らの被告府の違法行為についての主張に対する同被告の反論は、原判決五七頁一〇行目から七一頁八行目までに記載されているとおりである。

但し、七〇頁三行目の「同日」を「一月二七日」と改める。

五  被告国の主張

1  起訴違法について

原判決七一頁末行から七三頁七行目までに記載されているとおりである。

2  原告らの自白

原判決七三頁九行目から末行までに記載されているとおりである。

3  補強証拠

原判決七四頁二行目から七六頁八行目までに記載されているとおりである。

但し、七五頁七行目の「捜査報告書」の次に「(甲七〇)」を、七六頁二行目の「鑑定書」の次に「(甲四五、四六)」を各加える。

4  物的証拠に関する警察官の判断

原判決七六頁一〇行目から八四頁八行目までに記載されているとおりである。

但し、七九頁二行目の「血液型を」を「血液型が」と改め、八〇頁八行目の「書証」の次に「(甲四八ないし五〇)」を、八一頁九行目の「検証」の次に「甲二六二)」を各加える。

六  争点

1  被告府の違法行為の有無

被告府の警察官の暴行等(暴行、誘導、強制)により、原告らが意に反する自白をさせられたか。

2  被告国の違法行為の有無

検察官の公訴提起が違法であったか。

3  原告らの損害

第三  当裁判所の判断

一  本件刑事事件における原告らの本件犯行に関する供述経過の概要(この項は逮捕順に判示する。)

以下のとおり、原告らは、いずれも本件刑事事件で緊急逮捕される直前又はその後間もなく(Vだけは逮捕から四日目に)本件犯行を自白し、その後も捜査段階では自白を維持していたが、本件刑事第一審の公判では当初から一貫して本件犯行を否認していた(甲三四三の2、原告らの同公判における供述)。しかるに、原告Zは、本件刑事第一審判決(有罪・実刑判決)につき控訴せず、右判決が確定したが、原告V、同W、同X及び同Yは、いずれも大阪高等裁判所に控訴し、右四名を無罪とする本件刑事控訴審判決が確定した後に、原告Zは、地裁堺支部に再審の申立てをし、同支部が本件再審開始決定及び同原告を無罪とする本件刑事再審判決をし、同判決も確定した(前提となる事実6)。

なお、原告Vは、二月一七日に地裁堺支部に起訴され、その余の原告らは、同日家裁堺支部に送致され、その後検察官に対する逆送致決定を経て、三月八日に地裁堺支部に起訴された(前提となる事実5)。

1  原告Z関係

原告Zは、前提となる事実1(九)のとおり、一月二六日午後一〇時三〇分ころ、Fとともに貝塚署に出頭して、同署で取調べを受けて自己の姦淫と殺害の実行の点を除いて自白し、1・27員面(甲二三三--角谷警察官)を録取された後、同月二七日午前二時、同署において緊急逮捕された(甲二二七、二二八、同警察官の本件証人尋問)。そして、Zは、角谷警察官に対する1・27弁解録取書(甲二二九)において、緊急逮捕手続書(甲八)記載の被疑事実〔その要旨は、同1(九)(但し、原判決二四頁九行目から二五頁八行目まで)のとおり「原告らは、通行中の女性を襲って強姦しようと共謀の上、一月二一日午後一一時四〇分ころ、貝塚市沢六三三番地の四先路上を通行中の被害者を認めるや、原告V、同Yが同女の背後から近づき、原告Yが所携のカッターナイフを突き付けて脅迫し、西側の野菜畑に連れ込んで被害者のパンタロン等を脱がして裸にした上、他の共犯者三名が待つ野菜ハウス(本件ビニールハウス)の中に引きずり込み、原告Zが被害者の左手、原告Yは首、原告Wは右足、原告Xは左足を押えつけてその反抗を抑圧し、原告V、同Y、同X、同Wの順に同女を姦淫し、その後犯罪の発覚を恐れた原告Vが『殺してしまえ』という言葉に全員共謀して殺害を決意し、原告Vと同Yが手で被害者の頚部を扼圧して窒息死させた。」というものであり、所携のカッターナイフを突きつけて被害者を脅迫したのはY、姦淫したのはV、Y、X、Wの四人となっている〕を認めたうえ、1・27員面(甲二三二--北川警察官)において、自己が姦淫したことを含めて自白し、同日(一月二七日)午後三時四〇分、和泉署に身柄を移された(丙三)。その後も、Zは、甲田検察官に対する1・28弁解録取書(甲二三〇)でも同様の自白をしているが、裁判官の1・29勾留質問調書(甲二三一)では、被疑事実は間違いないとしながら、自己が姦淫したことと被害者の首を絞めたことは否定し、Vに誘われてついて行った旨供述している。その後、Zは、捜査官(警察官・検察官)に対し本件犯行を全面的に自白している〔甲二三四ないし二四七--2・1、2・2、2・3、2・6、2・8、2・9、2・10、2・15の各員面、2・6、2・12、2・16(二通)、3・6、3・7の各検面〕。

右捜査段階において、Zは、二月五日に浜本弁護士と、同月八日に岡本弁護士と、同月一〇日に浜本弁護士とそれぞれ接見(合計三回)している(丙一三・後記二9(二)の判示参照)。

2  原告W関係

原告Wは、前提となる事実1(一〇)のとおり、一月二七日午前四時、U方において、Zと同様の被疑事実で緊急逮捕されて、同日午前四時一五分、貝塚署に引致された(甲一二〇)。そして、Wは、右逮捕時には「知りません。」と否認していた(甲一二〇)が、浅田警察官に対する1・27弁解録取書(甲一二一)では、被疑事実を認める旨の詳細な供述、1・27員面(甲一二四--浅田警察官)では、これと同趣旨の供述をし、同日午後二時一〇分、泉大津署に身柄を移された(丙六)。その後も、Wは、捜査官及び勾留裁判官に対し全面的に自白している〔甲一二二、一二三、一二五ないし一三五--甲田検察官に対する1・28弁解録取書、裁判官の1・29勾留質問調書、2・3、2・9、2・10、2・15、2・16の各員面、2・6、2・13、2・15、3・6(二通)、3・7の各検面〕。

右捜査段階において、Wは、一月三一日、二月一四日に岡本弁護士と接見(合計二回)している(丙一三・後記二9(二)の判示参照)。

3  原告V関係

原告Vは、前提となる事実1(一〇)のとおり、一月二七日午前五時五分、L方において、Zと同様の被疑事実で緊急逮捕されて、同日午前五時五〇分、貝塚署に引致された(甲一〇一)。そして、Vは、右逮捕時には「知りません。」と否認し、(甲一〇一)、谷村警察官に対する1・27弁解録取書(甲一〇二)、1・27員面(甲一〇五--谷村警察官)では、いずれもアリバイを主張して被疑事実を否認しており、同日午後一時五分、泉佐野署に身柄を移された(丙二)。その後も、Vは、甲田検察官に対する1・28弁解録取書(甲一〇三)、裁判官の1・29勾留質問調書(甲一〇四)では、同様に被疑事実を否認していたが、1・30員面(甲一〇六--谷村警察官)で本件犯行を認め、その後は捜査官に対して全面的に自白している(甲一〇七ないし一一八--2・1、2・3、2・4、2・9、2・10、2・12、2・13、2・15、2・24の各員面、2・6、2・14、2・17の各検面)。

もっとも、Vは、弁護人との接見後二度(一月三一日及び二月二日の各接見後)自白を撤回し、いずれも再度自白に転じた(甲二一五、二一六、二八二、丙一三)。

右捜査段階において、Vは、一月三一日に山本弁護士と、二月二日に岡本弁護士と、同月一〇日に山本弁護士とそれぞれ接見(合計三回)している(丙一三・後記二9(二)の判示参照)。

Vが起訴されたのは二月一七日であるが、右起訴後の同月二四日に、警察官がアリバイ関係についてVを取り調べている(甲一一五)。

4  原告X関係

原告Xは、前提となる事実1(一〇)のとおり、一月二七日午前五時一五分、C方において、Zと同様の被疑事実で緊急逮捕されて、同日午前五時四〇分、貝塚署に引致された(甲一三七)。そして、Xは、右逮捕時には「知りません。何のことですか。」と否認し(甲一三七)、山之口警察官に対する1・27弁解録取書(甲一三八)では、「一月二一日はにしきの浜の駅や海の方に行きました。言いたいことは只、申し訳ありません。それ丈です。」とのみ陳述していたが、1・27員面(甲一四一--成原警察官)で本件犯行を自白し、同日午後二時二〇分、泉南署に身柄を移された(丙四)。その後も、Xは、捜査官及び勾留裁判官に対し全面的に自白している〔甲一三九、一四〇、一四二ないし一五四--甲田検察官に対する1・28弁解録取書、裁判官の1・29勾留質問調書、2・1、2・3、2・4、2・9、2・10、2・11、2・15(二通)の各員面、2・6、2・13、2・16(二通)、3・7の各検面〕。

右捜査段階において、Xは、二月七日に岡本弁護士と、同月九日に今口弁護士とそれぞれ接見(合計二回)している(丙一三・後記二9(二)の判示参照)。

五 原告Y関係

原告Yは、前提となる事実1(一〇)のとおり、一月二七日午前五時一五分、C方において、Zと同様の被疑事実で緊急逮捕されて、同日午前五時四〇分、貝塚署に引致された(甲一五七)。そして、Yは、角谷警察官に対する1・27弁解録取書(甲一五八)では、アリバイを主張して被疑事実を否認していたが、1・27員面(甲一六一--角谷警察官)で本件犯行を自白し(但し、被害者にカッターナイフを突きつけたのはVであると供述している)、同日午後一時四〇分、高石署に身柄を移された(丙五)。その後も、Yは、捜査官及び勾留裁判官に対し全面的に自白している〔甲一五九、一六〇--甲田検察官に対する1・28弁解録取書、裁判官の1・29勾留質問調書(但し、いずれも自己のナイフ所持については否認している)、甲一六二ないし一七三--2・2、2・3、2・8(二通)、2・9、2・13、2・15の各員面、2・5、2・11、2・15(二通)、3・6の各検面〕。

もっとも、二月一五日の取調べの際に、Yが検察官に対して一度否認したことがあったが、すぐにそれを撤回している(甲一七二、一七四、二二五、二二六、二七五、三二七)。

右捜査段階において、Yは、二月六日に岡本弁護士と、同月一四日に水谷弁護士とそれぞれ接見(合計二回)している(丙一三・後記二9(二)の判示参照)。

二  取調べにおける暴行等に関する原告らと取調検察官の供述の検討

1  緒言

原判決八五頁八行目から八六頁一〇行目までに示されているとおりであり、取調警察官の暴行等による自白強要の事実の有無については、直接の当事者である原告らと取調警察官らの言い分が真っ向から対立することが多く、いずれが事実に沿うものであるか、その判定が困難であるため、ここでは、供述の変遷過程にも留意しつつ、まず、両者の供述を概観したうえで、関連する諸事情を検討し、総合して両者の供述の信用性を判断していくこととする。

2  原告らと取調担当警察官の対応関係原判決八七頁一行目から七行目までに示されているとおりである。

3  原告V関係

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決八七頁九行目から一〇二頁五行目までに示されているとおりである。

【原判決の訂正等】

(一) 九〇頁末行の「暴力をふるわれた。」の次に「刑事の誘導(主として他の原告がこう言っているとの追及)と自分(V)の想像で調書が作成された。」を加える。

(二) 九二頁一〇行目から末行にかけての「その翌日、『やった。』と言ったが、詳しいことは話せなかった。』を「その翌日(一月三〇日)、『やった』と言ったが、詳しいことは話せなかった(やりましたと言ったら、刑事からいろいろどうやったかこうやったか聞かれたが答えられなかった。刑事が一つ一つ言うてきたんです。それでぼくは全然知らんから、刑事が言うたとおりにはいはいと一つ一つの質問に答えたので、一月三〇日の調書にはああやったこうやったと書いてある)。」と改める。

(三) 九三頁末行から九四頁一行目にかけての「ガラスは割れた。」を「ガラスは割れたと思う。」と改める。

(四) 九八頁五行目の「弁護人との接見状況」の次に「等」を、八行目末尾に「正座でひざが赤黒くなったり、靴をはいたままひざの上から足を踏まれたことでひざの皮がちょっとすりむけたりしたが、弁護士には見せていない。」を各加える。

(五) 九九頁九行目の「自白前」から末行の「その一回だけである。」を「自白前の原告Vが窓ガラスに頭をぶつけるなどしたことはあり、これを押しとどめるために座らせたことがある。」と改める。

(六) 一〇〇頁四行目の「、本件証人尋問も同旨」を削除し、四行目と五行目との間に次のとおり加える。

「<3>「勾留手続きを終えて泉佐野署に帰って、いつものように調室で取調べを始め、小一時間いろいろ調べをしているうちに、Vが突然『死にたい。』、『死んでやる。』と口走って、机に頭をぶつけたり壁に頭をぶつけたりしたんで、私(谷村警察官)は対峙して調べていたが、すぐに押さえた。当時福田警察官が補助して二人でやっており、同警察官が押えつけていたんですが、その手を振り払って窓に頭をぶっつけたりするんで(窓ガラスに当たって一枚ガラスが割れた)、同警察官があわてて押し戻して、床板へ押えつけるような格好で押えつけ、それから落ち着かせるために正座させ、私が『ばかなことをするな。』という説得をした。自白前に原告Vが暴れた際、これを制止した後二、三〇分、小一時間ぐらい正座させたことがある。正座させたのはその一回だけである。」(本件証人尋問)」

(七) 一〇〇頁六行目の「勾留後」の前に「勾留質問の前日に、『明日は勾留や、お前の言い分が通るかどうか裁判官に聞いてもらえ。』とか言い、」を加える。

(八) 一〇一頁六行目から七行目にかけての「原告らは怯えているとは思わない。」を「原告Vが怯えて供述を変えているとは思わない。」と改める。

(九) 一〇二頁三行目の「刑事第一審第二一回公判」の次に「、本件証人尋問も同旨」を加える。

4  原告W関係

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決一〇二頁七行目から一二一頁四行目までに示されているとおりである。

【原判決の訂正等】

(一) 一〇三頁六行目の「暴行を受けた」の次に「(浅田警察官からは暴行を受けていない)」を加える。

(二) 一〇六頁七行目の「右暴行で」から八行目の「(枕をするときに痛かった)が」までを「右暴行で頭にこぶができ、手錠の跡が赤くなっていたと思う(こぶは枕をするときに痛かった)が」と改める。

(三) 一〇八頁四行目末尾に「(但し、Wの員面、検面には、Zも首を絞めたとしているものはない。)」を加え、一〇行目の「泉大津署では」から末行の「受けていない。」までを「泉大津署で暴行を受けた警察官の名前はわからない。」と改める。

(四) 一一〇頁二行目の「自白調書」の次に「(1・27員面)」を、七行目の「自分で適当に言ったり書いたりしたもの」の次に「(例えば、自転車を置いた場所)」を各加え、一〇行目の「首を絞めた者」から一一一頁一行目の「認めた」までを「首を絞めた者については、浅田警察官からVがやったのと違うかと聞かれ、当初は自分が絞めたんですと言ったところ、同警察官からお前と違うと言われて、兄のVの名前を出したが、泉大津署で追及されて、Y、Zも絞めたと認めた。もっとも、1・27、2・9の各員面には、Zが首を絞めたということは書かれていない。」と改める。

(五) 一一一頁二行目の「三回」から三行目の「暴行があった。」までを「三回の暴行のうち、一回目の暴行があった。」と、六行目の「誘導」を「追及」と各改める。

(六) 一一三頁末行から一一四頁一行目にかけての「はっきりしない。」までを「はっきり覚えていない。面会時の弁護士の声が低かったので、何と言われたかよく聞き取れなかった。」と改める。

(七) 一一八頁六行目の「昼すぎころ」を「午後二時一〇分ころ」と改める。

(八) 一一九頁三行目の「朝の最初に話が続かず」を「翌朝の最初に前日の取調べ時からの話が続かず」と改め、四行目の「カーテンで」の前に「それは、」を、五行目の「注意したが」の前に「その被疑者に」を各加え、八行目の「誰が話した」を「誰が何と言った」と改める。

(九) 一二〇頁一行目から二行目にかけての「泉大津署での暴行もない。」を「泉大津署での暴行(現場へ行く道順が違うということで皮靴を脱いで殴る真似をしたり殴ったりしたこと)もない。」と、九行目から一〇行目にかけての「供述は『こう言っているぞ、こうと違うか。』ということで聞く。」を「『共犯者はこう言っているぞ、こうと違うか。』ということで聞く。」と各改める。

5  原告Y関係

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決一二一頁六行目から一四四頁八行目までに示されているとおりである。

【原判決の訂正等】

(一) 一二四頁四行目の「T」の次に「(TIのこと)」を加える。

(二) 一二五頁一〇行目の「これは正午ころに自白するまで続いた。」の次に「自白後も、刑事に問い詰められて自分から言ったことが、翌日になってみんなと言っていることが違うということで暴行を受けた。ほとんどが一人の刑事が想像で言い、一人の刑事が調書を書き、それに対して相づちを打つ感じだった。相づちを打たないと暴行を受ける。」を加える。

(三) 一二九頁末行の「ジャンケンで決めたことは、刑事に言われたから言った。」を「(本件刑事第一審で、強姦の順番はジャンケンで決めたと、自分から刑事に言ったと供述したのは、)初め刑事に順番はどうやって決めたと言われて、自分は黙っていたら、刑事がジャンケンなんかで決めたんやろうと言ったので、はい、ジャンケンで決めましたと、自分からそういうふうに言ったという意味である。」と改める。

(四) 一三一頁四行目から五行目にかけての「暴行では足を引きずったりということはあった。」を「暴行のために体に異常は出なかったが、足を引きずったりということはあった。」と、末行の「検察官の調書で」を「検察官に対する弁解録取書(一月二八日付)で」と各改める。

(五) 一三三頁二行目の「検察に」を「警察に」と改める。

(六) 一三六頁二行目の「最初は」から七行目の「自白した。」までを「二月一五日に供述が二転、三転したのは、最初は、真犯人が出てくるだろうと思っていたが、日にちがたつにつれて、(裁判所に)送られるということを聞いていたので、本当のことを言ってアリバイをもう一度調べてもらおうと思って、検事を呼んでもらったところ、検事は反省の色がないと言って帰ってしまい、角谷警察官と本田警察官が来て、暴行を受けて、もうなんぼ言うても一緒やと思って(検事と警察官は同じようなもんやという頭で)、自白した。」と改める。

(七) 一三七頁二行目から三行目にかけての「鑑別所で話したことは覚えていない。」の前に「〔鑑別所での記録(乙三五の2)に罪の償いをしようと覚悟している、死刑になることが一番不安、殺した被害者の顔がいつまでも忘れられないでいる旨が記載されているとの問いに対し、〕」を加える。

(八) 一四〇頁一行目の「自供した」の前に「一時間くらいで」を加え、末行の「防犯の部屋で」から一四一頁一行目末尾までを「『(原告Yを)防犯の部屋で調べていたときに(YがZと)顔を見合わして言うておったことはあったと思う。』(甲二一八--刑事第一審第二〇回公判)〔但し、最後の点について、本件証人尋問では、『原告ZとYとが顔を見合わせただけであって、そこで話をしたという意味ではない。言うておった、というのは、自分(角谷警察官)が(YとZが顔を合わせてしまったと)言ったということである。』と説明している。〕」と改める。

(九) 一四三頁末行の「夕べ被害者の夢をみた、助けてくれ助けてくれと怖かった。」を「夕べ被害者の夢をみた、怖かった、助けてくれ助けてくれと言って、首を絞めた状況の夢が出て来ていやだった。」と改める。

(一〇) 一四四頁二行目から三行目にかけての「血液型は聞いていない。」を「(膣内から発見された精液、オーバーコート付着の精液、乳房の唾液の三点の血液型の検査結果から犯人の特定ができないと聞いていたので、原告Yの)血液型は聞いていない。」と改める。

6  原告X関係

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決一四四頁末行から一六二頁八行目までに示されているとおりである。

【原判決の訂正等】

(一) 一四七頁末行の「正座させられ」の前に「床に」を加える。

(二) 一四八頁八行目の「書面」の次に「(1・27員面)」を加え、「この後に」を「この段階で」と改める。

(三) 一四九頁一行目の「口の中が切れた。」の次に「口の中が切れていたんで腫れていたかも知れない。」を、四行目の「武内警察官」の次に「(タケダと供述しているが武内と供述する趣旨と解される)」を、六行目から七行目にかけての「正座させられないときもあった。」の次に「警察官の質問に答えて警察官のきげんがよくなると、正座を止めさせてくれた。」を、一〇行目の「正座させられた。」の前に「床に」を各加え、末行から一五〇頁一行目にかけての「背中を足でやられた。」を「正座しているうしろから背中を足でやられた。警察官の言うことをそのまま認めたら、椅子にすわらせてもらえることもあった。」と改め、六行目の「足を乗せられた。」の次に「毎日そのような暴行を受けた。」を加える。

(四) 一五一頁四行目の「変更したものもある」の次に「(例えば、被害者をビニールハウスに引き込んで倒した際、被害者の腕をつかんだというのを、足をつかんだと変更した)」を、七行目の「殴られた」の次に「(例えば、警察官が『首を絞めたとき足がけいれんしたんやろう。』と言ったのに対し、『やっていない。』と言ったら殴られたので、被害者の足を押さえている時、被害者の足がけいれんしたと想像で言ったこともある)」を各加え、一〇行目から末行にかけての「正座させられてまた自白した。」を「正座させられて、思い出すまでそうしておけと言われ、また自白した。」と改める。

(五) 一五二頁九行目の「武内警察官」の次に「(前同)」を加える。

(六) 一五四頁の七行目の「暴行は」から八行目の「答えた。」までを「調査官から暴行は受けていない。調査官から事件についてどのような質問を受けたか記憶がない。調査官や裁判官の質問にあてずっぽうで答えた。」と改める。

(七) 一五五頁四行目の「公判)」の次に「〔但し、甲二九八--刑事第一審第三五回公判では、(検察官の質問に対し自分の字ではないと答えたのは、)警察が原告らを犯人にしようとして、自分の字をまねて書いたと思っていたからであると説明している。〕」を加える。

(八) 一五七頁九行目の「記憶していない。」の次に「事件当時の行動を聞いているうちに説明がつかないこと等があったんではないかと思う。」を加える。

(九) 一五八頁末行の「考えて」の前に「ゆっくり」を加える。

(一〇) 一五九頁九行目の「がま口」の前に「被害者が」を加える。

(一一) 一六一頁三行目の「家族に対して」の次に「こういう気持ちであるということを」を加える。

7  原告Z関係

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決一六二頁一〇行目から一九〇頁四行目までに示されているとおりである。

【原判決の訂正等】

(一) 一六四頁三行目の「包丁」を「ナイフ(後に包丁と訂正)」と改め、末行の「殴られたり」の前に「六発ぐらい」を加える。

(二) 一六六頁七行目冒頭から九行目末尾までを次のとおりに改める。

「Fに『やったと言わんと、殺す。』と言われた。(高等裁判所でVたちの裁判があったとき証人として出廷した際、裁判官から聞かれて、殺すぞというようなことは言われてませんと答えたかどうか)覚えていない。Fから五、六発げんこつで殴られた。倒れて起き上がり、また殴られるということを繰り返した。」(甲二六九--刑事再審)

(三) 一六六頁末行の「Fの家で」から一六七頁一行目の「考えた。」までを「Fの家で(手帳に)書いたことがある。(手帳に出て来る)原告らの名前は、(Fから一月二一日誰とおったんやと聞かれて)自分から言った。文章はFが考えた。字もFに教えてもらった。怖かったから書いた。」と改める。

(四) 一七一頁五行目の「顔」の次に「(ほっぺた)」を加える。

(五) 一七二頁末行の「大体のあてずっぽうで言った。」を自分のあてずっぽうで、Yが被害者の首を絞めたと言った。」と改める。

(六) 一七三頁末行の「2・1員面」から一七四頁一行目の「書き直させられた。」までを「2・10員面添付図面(みとりず<2>--さいふ)は何枚も書き直しをさせられた(質問は2・1員面添付図面を示すとなっているが、2・10員面添付図面を示す趣旨と解される)。」と改め、二行目の「現場地図」の前に「みとりず<1>--」を加え、五行目の「……」を「(自分から言ったかどうか)」と改める。

(七) 一七六頁二行目の「調書をとる人が」の前に「途中で」を加える。

(八) 一七八頁二行目の「何と言われたか覚えていない。」の前に「そのとき浜本弁護士から」を、七行目の「弁護士」の前に「その際、」を各加える。

(九) 一八四頁五行目の「誘導」の前に「決めつけたような言い方はせず、」を、六行目の「角谷警察官の取調べ」の次に「(甲二三三)」を、七行目の「午後の取調べ」の次に「(甲二三二)」を各加える。

(一〇) 一八五頁四行目の「度々あった」の次に「(但し、具体的内容については記憶がない)」を、末行から一八六頁一行目にかけての「交替した」の次に「(自分としては、北川警察官の前にZを取り調べた角谷警察官に対する供述と北川警察官に対する供述とでは、被害者がFの嫁であることにZが気づいた時期についてくい違いがあるので、上司が、また取調担当者が変わるとZが違うことをいうのか同じことをいうのかを確かめるために、取調担当者を交替させたのではないかと考えている)」を各加える。

(一一) 一八七頁九行目の「その日」の前に「各弁護士の面会の前後においても、Zの供述は一貫して変わっていない。」を加える。

(一二) 一八八頁八行目の「最初」の次に「(強姦や殺人について)」を加える。

(一三) 一九〇頁二行目、三行目の各「外泊」をいずれも「無断外泊」と改める。

8  暴行等に関する前記各供述の評価

(一) 原告らの暴行に関する供述について

(1) 原告Vの供述

原判決一九〇頁八行目から一九四頁四行目までに示されているとおりである。

但し、一九一頁一〇行目の「供述されている。」を「供述されているし、自白後は余り暴行を受けなかったが、がま口が発見されなかったときに暴行を受けたという点には真実性が窺える。」と改め、一九三頁六行目の「本件」から七行目から八行目にかけての「いいがたい。」までを削除し、末行の「本件」の後に「訴訟」を加える。

(2) 原告Wの供述

原判決一九四頁六行目から一九七頁末行までに示されているとおりである。

但し、一九七頁六行目の「乏しく、」を「乏しい。」と、八行目の「同警察官」を「浅田警察官」と各改める。

(3) 原告Yの供述

原判決一九八頁二行目から二〇〇頁一行目までに示されているとおりである。

但し、一九八頁七行目の「しかし、原告Yの供述は、その趣旨は概ね右のとおりであるが、」を「暴行に関する原告Yの供述の趣旨は、概ね右のとおりであるが、」と、二〇〇頁一行目の「十全」を「十分」と各改める。

(4) 原告Xの供述

原判決二〇〇頁三行目から二〇二頁四行目までに示されているとおりである。

但し、二〇一頁三行目の「背中を足でやられた。」の前に「正座しているうしろから」を加える。

(5) 原告Zの供述

原判決二〇二頁六行目から二〇六頁六行目までに示されているとおりである。

但し、二〇五頁四行目の「調書をとる人が」の前に「途中で」を加え、「六行目の「壁にぶつけれ」を「壁にぶつけられ」と改める。

(6) 原告らの供述の全体的評価

原告らの右各供述の真実性を全面的に否定することができないことは、原判決二〇六頁八行目から二〇七頁末行までに示されているとおりである。

但し、二〇七頁五行目の「原告ら」から七行目の「あることや」までを「原告らの右各供述は本件刑事公判における供述から本件訴訟における本人尋問まで(昭和五四年から平成五年にかけて)の一五年にも及ぶ長期間にわたる数度の供述の過程においてなされたものであることや」と各改め、八行目の「乙三二ないし三五の各2」の前に「原告Vを除くその余の原告らにつき」を加える。

(二) 取調警察官の供述について

次のとおり訂正するほかは、原判決二〇八頁二行目から二一二頁二行目までに示されているとおりである。

【原判決の訂正】

二〇八頁末行冒頭から二一二頁二行目末尾までを次のとおりに改める。

「しかしながら、他方、取調担当警察官の供述の信憑性を判断するに当たっては、次のような看過し難い諸事情があることにも十分留意しなければならない。すなわち、

(1) 原告V関係では、<1>谷村警察官は、暴行の事実を否定する一方で、本件証人尋問において、Vが否認から自白に転じた前日に暴れた際、これを制止し、その後、小一時間くらい正座させたことを自ら認めていること、<2>Vは、弁護人との三度の面会後、二度まで自白を撤回しているが、谷村警察官は、その際に叱ったり、大きな声を出すこともあったと自ら述べていること、

(2) 原告W関係では、浅田警察官は、Wが自白するに至った経緯について、1・27弁解録取書作成に際し、被疑事実を読み聞かせたところ、Wの体に相当の震えがあり、しばらくの間(二、三分間と思う)震えながら黙って涙ぐんでいたが、その後、そんなに時間がたたずに『すみませんと。』と事実を認めたと供述し、逮捕直後の取調べ開始後、Wが短時間で自白するに至ったことを強調している(甲二二〇)が、Wは、逮捕時には『知りません。』と否認していた(甲一二〇)にもかかわらず、右弁解録取書には、『同原告、従兄弟のY、兄のV、友達のZ、Xの五人で女を見つけて強姦をしようという相談をしながら歩いていたところ、午後一一時半ごろ二色浜駅の東北側の暗がりを歩いている、赤い服を着た女が鞄を持っているのを発見し、YとVがその女に近寄って行くなりYが持っていたカッターで脅しあげ、女を田圃の中に連れ込んで服を脱がせて裸にし更に近くのビニールハウスの中に連れ込んで、暴れる女の右手を同原告が押さえ、左手をVが押さえつけ、Yが首を押さえつけて動かないようにしてから、それぞれが交代でおめこをし、確かV、Y、同原告、X、Zの順に強姦し、皆がし終わった後、Vが後でばれては困ると思ったのか殺してしまえと言いながら、VとYが女の首を絞めて殺してしまいました』との被疑事実を認める趣旨の、かつ、Zも姦淫の実行をしたとする趣旨の詳細な供述記載があり(甲一二一)、同様に逮捕時に否認していたV、Y及びXの各1・27弁解録取書には、『只今、読み聞かされたことは全く身に覚えありません。人など殺していません。一月二一日の晩は貝塚駅前の水車喫茶店に行き、弟や友達のZらと会ったことは会いましたが、午後一〇時ごろZと二人で羽倉崎のLのアパートを訪ねて行き泊まりました。』(甲一〇二--V)、『友達のX、Z、V、Wの四人と相談して本年一月二一日午後一一時半ころ、Zの家近くにある野菜ビニールハウスの中に女の人を連れ込んで強姦した後、午後零時すぎころこの女の人を絞め殺したということで逮捕されましたが、こんなことはしていません。アリバイについては、はっきりしています。ほかの者がでたらめを言っているのです。』(甲一五八--Y)、『一月二一日はにしきの浜の駅や海の方に行きました。言いたいことは只、申し訳ありません。それ丈です。』(前記一4・甲一三八--X)との、いずれも簡潔な供述記載があるにすぎないことと対比して考えると、逮捕後短時間のうちにWが自白するに至ったとする浅田警察官の右説明には疑問が残ること、

(3) 原告Y関係では、<1>Yの自白に至る経緯等に関する角谷警察官の供述は具体的であるが、その根拠は同原告の手の甲にあった傷であるところ、後に検討するとおり、右傷が被害者によってつけられたものか否かについて疑問の余地があり、これが否定されると同原告の自白の契機に大きな疑問が生じること、<2>Yが自白するに至った時間について、角谷警察官は、本件刑事第一審では一時間くらい(甲二一八)、本件刑事控訴審では一五分(甲二一九)、本件証人尋問では一時間弱と供述を変転させていること、<3>角谷警察官は、Yの取調中にZを引き合わせたことは否定しながら、YとZとが顔を見合わせたことを認めるようなあいまいな供述をしていること〔甲二一八(もっとも、Zが本件本人尋問において、この点についてはっきり覚えていないと供述していることは前示のとおりである)〕、

(4) 原告X関係では、<1>Xは、逮捕時には『知りません。何のことですか。』と否認しており(甲一三七)、山之口警察官に対する弁解録取書では、『一月二一日はにしきの浜の駅や海の方に行きました。言いたいことは只、申し訳ありません。それ丈です。』とのみ供述し、(甲一三八)、成原警察官に対する1・27員面で本件犯行を自白している(甲一四一)が、同警察官の、Xが否認から自白に転じた経緯についての説明があいまいである〔本件刑事第一審第二二回公判(甲二二二)では、右経緯を特に記憶していないとしたうえで、事件当時の行動を聞いているうちに説明がつかないこと等があったんではないかと思うとのあいまいな供述をしていたのに、本件証人尋問では、ZはXが共犯者であると明言していること、ほかにも共犯者がおり、次々と逮捕されている様子であること、いずれ真実は分かるということ、お前も共犯者やろうということ、重大事件を起こして反省の気持ちはないのかということで、Xを説得したところ三〇分ちょっとしてから自供を始めたと説明し、先の刑事公判で同じ説明ができなかったのは、初めての公判経験であったため、頭の中に同じ答えがあったにもかかわらず、うまく言えなかったと弁解している〕こと、<2>逮捕直後(一月二七日)の貝塚署でのXに対する取調べが、当初は大部屋(警備課の部屋)で行われ、途中から小部屋〔体練室(道場の脇にある柔道・剣道・衛生管理の先生のいる部屋)〕に移って行われた(甲二二二、二七九、成原警察官の本件証人尋問)というのは、いささか不自然であること、<3>『ぼくの今のきもち』(二月一六日付)について、武内警察官は、Xの取調べ終了後、本人のためになると思って書かせたと供述する(甲二二三)が、同書には『ぼくのした、はなしをどこにいっても、はなしをします』との記載がある(甲八八)うえ、同警察官は、これを上司に見せた後、個人的に保管しておくつもりであったところ、同書を見た上司の指示で報告書(甲八八)に添付することとなったとも供述しており(甲二二三)、同書の作成目的やその取扱いに関する同警察官の説明は不自然であること、

(5) 原告Z関係では、<1>Zが出頭した時点(一月二六日)までには、武内警察官が被害者の母親から事情聴取(同月二三日)した結果によって、被害者ががま口を持っていたことが判明していたものと認められる(丙九、武内警察官の本件証人尋問)ところ、本件の捜査においては必要に応じて捜査会議がもたれ、平野捜査班長から各捜査員に対して捜査方針についての注意や捜査の進展に伴う情報等が伝えられていたこと、例えば、被害者の爪の中から血液反応があったことに関し検査結果が示され、被疑者(原告ら)のうちに手などに傷をつけている者がいないか注意するように指示されていたこと等が認められ(北川警察官--甲二二七--刑事再審、角谷警察官の本件証人尋問、証人平野)、このような捜査会議の状況からみて、被害者のがま口がなくなっているとの重要な情報は捜査員の共通認識となっていたことが窺えるのに、角谷警察官は、がま口の存在についてはZの供述で初めて聞いたと供述しており(甲二一八--刑事第一審第二〇回公判、本件証人尋問)、不自然であること、<2>北川警察官は、本件刑事再審公判で証人となるに際し、予め供述調書を読んだことや事前に検察官に会ったことなどについて、公判で明らかに虚偽の証言をしている(但し、弁護人の質問に対し虚偽の証言をした後、検察官から質問されて訂正した)うえ、Zが自白した(一月二七日午前の角谷警察官の取調べでは強姦や殺人への関与を否認していたのに、同日午後の北川警察官の取調べで同原告も強姦したことについて認めた)事情、状況についての説明ができていないこと(甲二二七)、

(6) 原告らはいずれも検察庁での取調べの際、警察官が同室していた旨供述しているところ、甲田検察官(甲二二六--刑事再審)、原告Yの取調べを担当した角谷警察官(本件証人尋問)及び同Xの取調べを担当した武内警察官(前同)も右同室を肯定する趣旨の供述をしている(もっとも、甲田検察官は、本件証人尋問において否定する供述をしているが、右各供述に照らし、たやすく採用し難い)のに、原告Zの取調べを担当した河原警察官はこれを否定する供述をしていること(甲二二八)などの事情が存在し、前記各取調担当警察官の供述は、その信用性について疑問がある。したがって、右各警察官の供述を直ちに採用することはできない。」

9  原告らの弁護人に対する訴え及び検察官等に対する供述の状況について

(一) 緒言

原判決二一二頁五行目から二一三頁一行目までに示されているとおりであり、以下においては、自白の強要に関する間接的な事情として、原告らの捜査段階における弁護人に対する訴え、検察官、勾留質問時の裁判官、家庭裁判所調査官等に対する供述の状況等について検討する。

(二) 弁護人に対する訴えの状況

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決二一三頁三行目から二一八頁五行目までに示されているとおりである。

【原判決の訂正等】

(1) 二一四頁三行目の「傷もなかった。」の次に「傷が残らないような形で暴行を受けたとしきりに訴えていた。」を、一〇行目の「言っており、」の次に「なぜ手帳に書いたんやと聞くと、おっちゃん(F)に脅かされて仕方なしに書いたんだと言っていた。暴行については、」を各加える。

(2) 二一五頁七行目の「具体的にした質問に対し、」の前に「強姦の順番や犯行の手口について」を、八行目の「答えていた。」の次に「その時、同原告は、パンティストッキングを脱がしたことを言わなかった。」を各加える。

(3) 二一八頁一行目の「原告Vや同W」を「原告V」と改め、二行目から三行目にかけての「接見状況を聞き出し」の次に「〔ちなみに、原告Wも、接見後に浅田警察官から『弁護士さんにどんな話したんや。それを言え。』と言われたと供述している(丙一四)〕」を加える。

(三) 検察官等に対する供述の状況

原判決二一八頁七行目から二一九頁一〇行目までに示されているとおりである。

但し、二一九頁三行目から四行目にかけての「前記一3ないし7に掲記の証拠及び証人甲田」を「前記3ないし7に掲記の証拠及び甲二二六--刑事再審における甲田検察官の証言」と改める。

10  外形的痕跡

原判決二二〇頁一行目から六行目までに示されているとおりである。

但し、二二〇頁三行目の「こぶができた(原告W)とか、」を「ひざが赤黒くなったり、ひざの皮がすりむけたりした(原告V)とか、こぶができた(原告W)、」と改め、五行目の「弁護人との接見」の次に「(証人岡本)」、「少年鑑別所における検査」の次に「(乙三二ないし三五の各2)」を各加える。

11  小括

以上によれば、捜査段階において警察官から原告らに対して暴行が加えられたとする原告らの各供述を検討すると、いささか誇張にすぎるのではないかと思われる点もみられ、原告らの右各供述から直ちにその主張の暴行の存在を認めることはできない。

しかしながら、原告らは、必ずしも具体的とはいえないにしても既に捜査段階において弁護人に対し取調警察官から暴行を受けている旨訴えており、それ以降も、本件刑事第一審、刑事控訴審、刑事再審、本件訴訟の各段階において前後一五年間にも及ぶ長期にわたり終始一貫取調警察官から暴行を受けた旨こもごも供述しており、このような場合、自ら経験した事柄であっても、時間の経過とともに記憶が風化したり修飾されたりして、供述内容が次第に現実性を欠き原告らの表現能力ともあいまって多少定型的なものになってくるということも考えられ、他方、暴行の事実を否定する取調警察官の供述には前示のような留意すべき疑問点があることを併せ考慮すると、原告らが捜査段階において取調警察官から暴行を加えられたということはあり得ることであるというべきである。

三  関係証拠及び事情の検討

1  緒言

更に観点を変えてみるに、取調捜査官に対する自白供述の内容及びその変遷過程、共犯者の自白を含めた補強証拠の有無・証明力(補強証拠の証明力の強弱は捜査官による被疑者に対する取調べの内容、態様と無関係ではない)等を検討することによって、間接的に取調べの実態(言い換えれば、自白の採取過程)を把握し、そこから取調捜査官の暴行等による自白強要の事実(取調捜査官の違法行為)の有無を間接的に窺い知ることも可能であると考えられるので、以下このような見地に立って、まず、本項(三)で物的証拠等を検討、評価し、次に、後記四で捜査段階における原告らの本件刑事事件に関する自白供述の内容及びその変遷を分析したうえで、最後に、同五でこれらを総合考慮して、原告らが請求原因とする暴行及びその他の態様による自白強要の事実(取調警察官の違法行為)の有無を判断する。

2  被害者の膣内容液について

原判決二二三頁三行目から二三一頁八行目までに示されているとおりである。

但し、二二六頁末行の「二〇時間」の前に「性交後」を加え、二二九頁九行目の「甲二六四」を「甲二六四の1」と改め、二三〇頁二行目の「二〇時間」の前に「性交後」を加え、末行の「姦淫後」を「犯行(姦淫)推定時刻後」と改める。

3  被害者のコートに付着した体液について

原判決二三一頁一〇行目から二三四頁七行目までに示されているとおりである。

但し、二三三頁二行目の「扁平上皮細胞」から三行目の「ないから」までを「扁平上皮細胞は女性器、男性器のいずれにも存在し、女性の膣膜由来のものであれば、膣粘膜にはグリコーゲンが含まれており、ルゴール反応により検査することができる(甲二六五)が、本件ではルゴール反応検査が行われておらず、男女いずれのものかを判別したとの証拠はないから」と改める。

4  被害者の両方の乳房から採取された体液について

原判決二三四頁九行目から二三七頁六行目までに示されているとおりである。

但し、二三六頁八行目の「述べており」の次に「(甲二六七)」を、一〇行目の「甲二五八」の次に「、二六五」を各加える。

5  足痕跡について

原判決二三七頁八行目から二四〇頁末行までに示されているとおりである。

但し、二三九頁末行から二四〇頁一行目の「甲九、四八、五〇」の次に「、二二四」を加え、同頁六行目の「原告らの供述」を「原告らの捜査段階における供述」と改める。

6  指掌紋について

原判決二四一頁二行目から二四三頁三行目までに示されているとおりである。

但し、二四二頁一行目の「四九--現場指紋等採取及び鑑識結果通知書」を「甲四九--現場指紋等採取及び鑑識結果通知書、甲二二四--武内警察官刑事控訴審第六回公判」と改める。

7  履物及び着衣に付着した土と現場の土の同一性について

原判決二四三頁五行目から二四四頁六行目までに示されているとおりである。

8  犯行現場等から採取された体毛について

原判決二四四頁八行目から二四八頁七行目までに示されているとおりである。

但し、二四五頁六行目の「甲四六」を「甲四五」と改める。

9  カッターナイフについて

原判決二四八頁九行目から二四九頁九行目までに示されているとおりである。

但し、二四八頁一〇行目の「同原告」から末行末尾までを「同原告の自宅六畳間の勉強机の下にある道具箱に入れてある旨の自供(甲一〇七--2・1員面)に基づいて、自宅(U方)を捜索したところ、六畳間の机の最上段の引き出しの中からカッターナイフが押収されている(甲五三--2・2捜索差押調書)。」と改める。

10  原告Yの手の甲の傷について

原判決二四九頁末行から二五二頁五行目までに示されているとおりである。

但し、二五二頁二行目末尾に「ちなみに、同鑑定人は本件刑事第一審公判において、被害者の爪がある程度伸びていればできる傷である旨の証言をしている(甲九四)が、前記検査処理票(甲四七)には被害者の爪は短く採取困難との記載がある。」を加える。

11  物的証拠についての小括

以上の検討結果を整理すると、左記(一)ないし(四)のとおりとなり、結局、本件刑事事件においては、原告らの自白供述を補強し得る物的証拠は存在しないことに帰着する。

(一) 被害者の膣内容液、オーバーコート付着の体液、両乳房から採取された体液のいずれからも精液又は犯人のものと思われる体液が発見されており、原告らが犯人であるとすればその血液型が検出される可能性が高い状況が存在した。しかるところ、前記2、3の各鑑定結果によれば、被害者の膣内容液及びオーバーコート付着の体液の血液型はいずれもA型の分泌型であり、また、同4の検査結果によりば、両乳房から採取された体液の血液型はA型であって、いずれもX(A型の非分泌型)を除く原告ら四名(VとWはB型の分泌型、YとZはAB型の分泌型)が犯人である可能性が否定されている(ちなみに、Xは非分泌型であるために、残存体液の存否にかかわらず、血液型が検出される可能性はないから、Xについて、右各鑑定・検査との関係ではいずれとも決することはできない)。もっとも、前記2ないし4のとおり、右各鑑定及び検査の結果、Xを除く原告ら四名の血液型が検出されなかったことについて、それぞれその理由の説明ができないではないが、その可能性はいずれも低い。

(二) 足痕跡については、原告らの捜査段階における供述を前提とするならば、原告らのいずれの足痕跡も発見できなかったことはやや不自然ではあるが、前記5のとおり、右供述によれば、本件犯行後、Vの指示で足跡を消したというのであり、しかも、当時は厳寒期であり土は非常に硬くて足跡痕が取りにくい状況であったという(証人平野)のであるから、この点は決定的な要素とはいえない。また、原告らの指掌紋がまったく検出されていない点についても、同6のとおり、指掌紋が付着しにくい状況であったと思われるから、同様に決定的な要素とはいえない。

(三) 原告らの履物及び着衣に付着した土と現場の土の同一性が確認されておらず、この点は、原告らと本件犯行との結びつきを否定する一要素となり得るが、前記7のとおり、鑑定の対象となった原告らの履物や着衣が任意提出されたのが本件犯行時から相当の日時が経過した後であることを考慮すると、決定的な要素とはいえない。

(四) 犯行現場から採取された体毛、カッターナイフの押収、原告Yの手の甲の傷は、それぞれ原告らの一部の者と本件犯行を結びつける可能性のある物的証拠であるが、前期8ないし10でみたように、同時に右結びつきを否定する説明も比較的容易であり、いずれも本件犯行が原告らの犯行であることを断定する価値を有するものではない。

12  Vを除く原告らの勾留裁判官等に対する自白と原告Zの服役

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決三二七頁末行から三三〇頁一〇行目までに示されているとおりであり、<1>Vを除く原告ら四名が勾留裁判官、家庭裁判所調査官や少年鑑別所の係官等に対しても自白していること、<2>原告Yが岡本弁護士との接見において、当初、本件犯行を認める趣旨の供述をしていたこと、<3>原告Zが本件刑事第一審判決につき控訴せず服役していたこと、以上の事情が存在するが、これらはいずれも原告らの取調警察官に対する自白の任意性、信用性を担保する決定的な要素たり得ない。

【原判決の訂正等】

(一) 三二七頁末行冒頭から三二八頁一行目の「わけではない。」までを「もっとも、取調警察官に対する自白の任意性、信用性を担保する余地のある事情が存在しないわけではない。」と改める。

(二) 三二八頁一行目の「原告らは」を「Vを除く原告ら四名は」と、三行目の「乙三二ないし三五の各枝番2」を「甲一二三、一四〇、一五九、二三一、乙三二ないし三五の各1、2。ちなみに、少年鑑別所において、原告X、同Yは『罪のつぐないをする』旨を述べ、さらに、同Yは『殺した被害者の顔がいつまでも忘れられない。』とまで述べている。」と各改める。

(三) 三二九頁二行目の「原告Yの供述」の次に「(甲二七六--刑事第一審第一三回公判)」を加え、八行目の「説明をしているが」を「説明をしている(甲二六八--刑事再審、甲三二〇--刑事控訴審第七回公判--証人として)が」と改める。

(四) 三三〇頁四行目から五行目の「疑っていたふしがあり」の次に「(甲一九一、二〇七、乙六、七)」を加え、六行目の「同原告が」から八行目末尾までを「同原告が周囲の勧めに従って服役したと解することも可能である。」と、九行目冒頭から一〇行目末尾までを「したがって、右<1>ないし<3>は、いずれも、取調警察官に対する自白の任意性、信用性を担保する決定的な要素たり得ない。」と各改める。

13  まとめ

以上のとおり、原告らの自白供述を補強し得る物的証拠は存在ぜす、また、Vを除く原告らの勾留裁判官等に対する自白や原告Zの服役は、原告らの取調警察官に対する自白の任意性、信用性を担保にする決定的な要素とはいえない。

四  捜査段階における原告らの供述の分析

1  緒言

前示のとおり、捜査段階における原告らの自白供述の内容及びその変遷過程が、原告ら主張の自白強要の事実(取調警察官の違法行為)の有無を検討するうえで、重要な意味を持つから、以下、右供述内容、その相互の関係及び変遷について分析、検討する。

2  輪姦の順序の取決めに関する供述

原判決二五六頁九行目から二五七頁七行目までに示されているとおりである(但し、二五七頁二行目の「甲一六四」を「甲一六九」と改める)。

3  原告乙の本件ビニールハウス侵入に関する供述

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決二五七頁九行目から二六五頁一行目までに示されているとおりであり、この点に関する原告Zと同Yの各供述の変遷を時系列的にみると、取調警察官側が同原告らに対し、本件ビニールハウスの客観的状況に符合する説明を求め、同原告らが推測に基づいて説明し、取調警察官側が双方の供述の相違を追及しながら、矛盾をできる限り排除しようとしていったものとみることができる。

【原判決の訂正等】

(一) 二六〇頁一行目末尾に「なお、原告V、同W及び同Xは、いずれも原告Zが本件ビニールハウス内へ出入りした状況について供述していないのに、原告Yはただ一人この点について供述している。」を加える。

(二) 二六四頁六行目から七行目の「外側から閂を下ろしていること」を「外側から閂を下ろしており、内側から開けることが不可能であること」と改める。

4  被害者を捕まえる直前の行動に関する供述

次のとおり付加するほかは、原判決二六五頁三行目から二七〇頁三行目までに示されているとおりであり、この点に関する原告Y及び同Wの供述の変遷は、次第に原告Vの供述に一致するよう誘導された疑いを拭いがたい。

【原判決への付加】

二七〇頁三行目と四行目との間に次のとおり加える。

「なお、原告Zは、当初、原告らは五名とも本件ビニールハウスに入り、Vが、Z、W、Xにその中で待機するように指示し、Yとともに外に出た旨供述していた〔甲二三二、二三三--1・27員面(二通)、甲二三五--2・2員面〕が、次いで、VとYが、本件ビニールハウス手前の畦道で他の原告らに『お前らハウスの中に入って見張っとけ』と言いつけて、畦道から道路の方に出で行った旨の供述に変え(甲二三九--2・9員面)、再び当初のとおり、Vも本件ビニールハウス内に入ってからYと出て行った旨供述している(甲二四三--2・12検面)。しかるに、右供述の変転について何ら理由の説明がない。」

5  原告Vのカッターナイフ所持及びこれによる脅迫状況に関する供述

(一) 原告Vがカッターナイフを所持しているのに気づいた時期

次のとおり訂正するほかは、原判決二七〇頁六行目から二七三頁三行目までに示されているとおりであり、この点に関する原告Zと同Yの供述の変遷は、原告V、同W及び同Xの供述との不整合を修正する誘導の結果と推認される。

【原判決の訂正】

(1) 二七〇頁七行目の「原告らが」から九行目末尾までを「原告らが二色の浜駅からビニールハウスに着くころ、VがYに『俺がカッターナイフを持っている、これで脅すぞ。』と言っていた。カッターナイフというのは長さ二〇センチ位のものでした。刃は夜でもキラキラ光っていました。ビニールハウスに着いてVが『俺についてこい、女引っ張ってこお。ZとX、Wはしけ張りしとけ。』と言うので、私はビニールハウスの中に……入るところを捜し……他の四人を中に入れました。……このビニールハウスの中で約三〇分位つまり午後一一時四〇分ごろまでビニールハウスの東側の道路をながめてええ女来よれへんか待っていました。すると……若い姉ちゃん(被害者)が歩いて来ましたから、Vが『あいつ、やってまお。お前ら三人しけ張りしとけ。』と言いながら、VとYが出て行きました。……Vが姉ちゃんにカッターナイフを背中に突きつけ……(ビニールハウスの中へ)連れて来ました」と改める。

(2) 二七一頁六行目の「Vが」から七行目の「見た」までを「Vが被害者の背中に突き付けたとき(ビニールハウス東側で被害者を捕まえたとき)初めてカッターナイフを見た」と、末行の「朝日」を「朝日新聞」と各改める。

(3) 二七二頁一行目の「2・12検面」を「甲二四三--2・12検面」と、一行目の「原告W」から四行目の「ある」までを「原告Xも『カッターナイフのようなもの』(甲一四五--2・9員面)とか『ナイフみたいなもの』(甲一五〇--2・6検面)とあいまいな供述をしたり、『ナイフ』(甲一五一--2・13検面)と供述していることもある」と、九行目と一〇行目から末行にかけての「本件ビニールハウス内で」(二箇所)を「被害者を本件ビニールハウス内に連れ込む以前に」と各改める。

(二) 被害者にカッターナイフを突き付けた者

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決二七三頁五行目から二七四頁四行目までに示されているとおりであり、原告Wのこの点に関する供述の変遷は、これを原告Vだとする他の原告らの供述に合致させる過程であるとみることもできる。

【原判決の訂正等】

(1) 二七三頁一〇行目の「甲一二五--2・3員面、」を削除し、一〇行目の「最終的」から二七四頁一行目の「至っている」までを「最終的に検察官に対して、『ナイフを持っていたのはVかYかはっきりとは言えませんが、多分、兄貴のVがナイフを女の人(被害者)に見せびらかして脅していたと思います。』と供述するに至っている」と改める。

(2) 二七四頁一行目末尾に「また、原告Xも警察官に対しては、VかYかどちらかが手にカッターナイフ(2・9員面では『カッターナイフのようなもの』)握って被害者に突き付けていた旨供述し(甲一四三--2・3員面、甲一四五--2・9員面)、他方、検察官に対しては、Vがナイフみたいなもの(2・13検面では『ナイフ』)を被害者に突き付けていた旨供述している(甲一五〇--2・6検面、甲一五一--2・13検面)」を加える。

(三) カッターナイフを突き付けた部位

原判決二七四頁六行目から二七六頁九行目までに示されているとおりであり、この点に関する原告V、同Y及び同Wの供述の変遷は、同原告らの自己体験に基づく供述であることに疑問を抱かせるものであり、原告Zの供述の変遷は、取調警察官の示唆によるものと推認される。

6  被害者を本件ビニールハウス内に連行した状況に関する供述

次のとおり訂正するほかは、原判決二七六頁末行から二八三頁一行目までに示されているとおりであり、この点に関する原告ら五名の供述の変遷は、高菜畑での行為の実行行為者とされている原告Vと同Yの供述に一致させる方向で変遷していることが窺える。

【原判決の訂正】

(一) 二八一頁末行の「甲一〇六等」を「甲一〇六--1・30員面等」と改める。

(二) 二八二頁八行目の「次には」から二八三頁一行目末尾までを「次には加勢するために飛び出し、高菜畑で被害者のパンタロンを脱がせたときそばにいて被害者の陰部を触ったとまで述べるに至り、しかも証拠物のパンタロンを示されてそのときのものに間違いないとまで供述していたのが、現場を見た後には再転して、下半身を裸にされた被害者が本件ビニールハウスに連れて来られるのを迎えたというのである。しかしながら、このような点について、現場を見てそれまでの供述が思い違いであったと気づくことがあり得るのか極めて疑問であり、他の原告らの供述と整合させるための供述の変化である疑いが濃い。」と改める。

7  被害者殺害の契機に関する供述

次のとおり訂正するほかは、原判決二八三頁三行目から二八八頁一〇行目までに示されているとおりであり、この点に関する原告ら五名の供述経過をみるに、他の四人が姦淫する間、被害者の身体を押えつけていた原告Zが、最後に自分が姦淫しておきながら、その後初めて被害者が近所に住むFの妻とわかったというのは不自然であるし、原告Vが本件犯行を自白するまでは、原告Xや同Wが、被害者の殺害と原告Zの面識とを関係づけていなかったのに、原告Vの自白後に、これを変更した理由の説明がなく、また、原告Yが、当初、被害者と面識があるとの原告Zの発言を受けて、殺害を命じたのは自己である旨の供述をしていたのも不可解である。

【原判決の訂正】

(一) 二八三頁七行目の「(甲二三三他)」を「〔甲二三二--1・27員面(北川警察官に対するもの)等〕」と、八行目の「甲一〇六他」を「甲一〇六--1・30員面等〕と各改める。

(二) 二八七頁一〇行目の「甲一六九--2・5検面、甲一六五--2・8員面、甲一七〇--2・11検面)」を「甲一六九--2・5検面、甲一六五--2・8員面)、さらに、Vが『殺してしまえ。』と言ったあと、Yほかの原告らも同じように『殺してしまえ。』と言った旨述べている(甲一七〇--2・11検面)」と改める。

(三) 二八八頁一行目から二行目にかけての「右のような供述経過をみるに、人を識別できる程度の明かりはあった現場で」を「右のような供述経過をみるに、原告Zが、2・9員面(甲二三九)では、姦淫しているとき被害者が顔を右や左に振ったりしているので、はっきり顔が見えなかったが、姦淫後、被害者が座った格好になったときにはじめて顔がわかった旨供述していることを考慮しても、人を識別できる程度の明かりはあった現場で(甲九、一〇)」と改める。

8  被害者殺害の実行行為に関する供述

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決二八九頁一行目から二九九頁四行目までに示されているとおりであり、この点に関する原告V及び同Zの供述の変遷には、取調警察官側に、被害者の前額部に二条の線状の皮下出血があったことに適合させる意図があったことが、原告Yの供述の変遷には、同原告の手の甲に傷があることから、同原告を被害者殺害の主犯者と考えた取調警察官による自白の強要がそれぞれ疑われ、殺害について実行行為者とされていない原告W及び同Xの供述の変遷も、自己の経験に基づいての供述としては、いささか不自然である。

【原判決の訂正等】

(一) 二九二頁一行目の「甲一六九--2・5検面」の次に「。但し、甲一六九では、V一人が『殺してしまえ。』と言った旨供述している。」を加え、六行目の「Zの行為」を「Zがどんなふうに首を絞めていたか」と改める。

(二) 二九八頁四行目の「同原告を」の前に「前示のとおり」を加える。

9  被害者の荷物などを持ち運びした状況に関する供述

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決二九九頁六行目から三〇八頁四行目までに示されているとおりであり、この点に関する原告ら五名の供述の混乱や、右供述による被害者の荷物や着衣を人目につきやすい場所に放置するという不可解な状況が生じたのは、取調警察官から現場の状況を前提とする説明を求められた原告らが、自己の体験に基づかない供述を重ねていったことが原因ではないかとの疑問を禁じ得ない。

【原判決の訂正等】

(一) 三〇〇頁八行目から九行目の「供述(甲一〇八--2・3員面、甲一〇九--2・4員面)していた」の次に「〔右各供述当時は、まだ自分(原告V)ががま口を窃取した旨の供述をしていなかった〕」を加える。

(二) 三〇二頁三行目から四行目の「言われたので」を「言ったので」と改め、末行の「甲二四三--2・12検面」の次に「。但し、甲二四三では、Vから言われて、ハンドバッグ等を元の所へ置きに行った後に、Vに言われてズボン等を持って来た旨供述している」を加える。

(三) 三〇五頁六行目の「2・6検面」を「2・13検面」と改める。

(四) 三〇七頁二行目から三行目の「数日ならずして」を「数日後には」と、八行目の「(現に」から九行目の「目撃している)」までを「〔現に通行人がショルダーバッグを拾得しており(甲一二、九二)、Fらも通行中にこの荷物を目撃している(甲一七八、一七九、三三五、乙三六、丙一〇)〕」と各改める。

10  原告Vのがま口窃取に関する供述

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決三〇八頁六行目から三一六頁二行目までに示されているとおりであり、この点につき、原告Vは、当初否認しており、二月一〇日になって自白するに至ったが、右自白供述の内容(当初はYの犯行にしようとしておきながら、一転してZやYが見ている前で窃取したと供述していること)はいささか不自然であるだけでなく、同原告の供述する投棄場所からがま口が発見されていないのは、右自白の信用性を疑わせるし、原告Zの供述には、取調警察官の誘導が疑われ、Vが盗ったがま口を見せたとする原告WやVががま口を盗る際にその旨を告げたとする原告Yの各供述も不自然である。

【原判決の訂正等】

(一) 三〇八頁七行目の「自供している」の次に「(甲一一一--2・10員面)」を加える。

(二) 三一〇頁三行目の「自分私」を「自分(W)」と改める。

(三) 三一二頁九行目の「書いている」から一〇行目末尾までを「書いており〔甲一一一--2・10員面(右図面が添付されている)〕、さらに、がま口の中身を調べたのはビニールハウスを逃げ出し二色の浜駅から貝塚駅へ向かう途中であり、その時中身を抜き取りがま口を川へ捨てた旨供述している(甲一一七--2・14検面)」と改める。

(四) 三一三頁二行目の「2・10員面、2・14検面」を「甲一一一--2・10員面、甲一一七--2・14検面」と、一〇行目の「被害者」から末行の「画いている点」を「被害者の母」(甲二〇二--1・31員面)の書いた図面と極めて類似した図面を、しかも留金まで詳細に書いている(甲二四〇--2・10員面)点」と改める。

(五) 三一四頁四行目から五行目にかけての「原告Yに告げるのか」を「原告Yに告げたうえで、口止めするのか」と改め、九行目の「不自然さがある」の次に「〔右供述変遷の理由につき、原告Vは、がま口を盗んだというと罪が重くなるから最初は隠していた旨供述するが(甲一一一--2・10員面、甲一一七--2・14検面)、ZやYが見ていたというのなら、隠し通せると思うのは不自然である〕」を加える。

(六) 三一五頁二行目の「真実性」を「信用性」と改め、六行目の「甲一一--2・10員面」を「甲六八--2・20実況見分調書、甲一一一--2・10員面、甲一一七--2・14検面」と改め、末行の「通行人等」の前に「投棄後約一か月経過したあとの捜索である点を考慮しても、」と加える。

11  原告Yの手の瘢痕に関する供述

原判決三一六頁四行目から三一七頁八行目までに示されているとおりであり(但し、三一七頁八行目の「真実性」を「信用性」と改める)、右瘢痕が被害者の爪により生じたものと断定することには問題があることや、原告Yが被害者の首を絞めたときの供述の変遷等に照らすと、右瘢痕に関する原告Y、同V、同X及び同Wの各供述の信用性には疑問がある。

12  小括

右にみてきた原告らの捜査段階における供述の変遷、変転、相互の供述の食い違いは、本件刑事事件のような事案の場合に一般的に起こり得る範囲内のものであるとはいいがたく、しかも合理的な理由のない供述の度重なる変転は、原告らの供述が自己の体験に基づかないものであるとの疑問を生じさせるものであり、少なくとも、取調警察官の誘導や押し付け等による自白強要の事実の存在を窺わせるものであることは、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決三一七頁一〇行目から三二二頁三行目までに示されているとおりである。

【原判決の訂正等】

(一) 三二〇頁末行の「程度の問題として許容される範囲内に」を「本件刑事事件のような事案の場合に一般的に起こり得る範囲内のもので」と改める。

(二) 三二〇頁末行の次に左記のとおり加える。

「この点につき、被告府は『本件刑事事件は、強姦殺人という重大な犯罪であり、その刑の重さを考えるとき、被疑者として自己に不利な事実を故意に隠したりゆがめたりすることはあり得るし、故意でなくとも夜間の行動であり、しかも興奮状態にある者として、自己の行動について記憶違いや記憶喪失があってもやむを得ないし、ことに五名もの共犯事件であってみれば、他の共犯者の行動との関連において記憶のあいまいさや思い違いがあることも不自然ではない。また、本件刑事事件のごとき重大犯罪の被疑者は、最初から首尾一貫した事実経過の供述をするものではなく、矛盾したことを述べたり、事実を前後させたり、記憶していても故意に述べなかったり、記憶のないことを推測で述べたり、事実を少しゆがめてみたり、供述を変えてみたりなど屈折した供述をするのが普通である。このような被疑者の供述の現実を考慮せず、供述調書にみられる供述の変遷や矛盾を過度に詮索するのは事実を見落とすことになりかねない。』と主張する。

しかしながら、そもそも一旦犯行自体を自白した者がその一部分について故意に隠したりゆがめたりするというのはいかにも不自然であるし、記憶違いや記憶喪失があり得ることや、原告らの知的能力や表現力が必ずしも十分なものではないことを考慮しても、本件犯行があったとされる一月二一日からそれ程日を置かず(同月二七日)に原告らが逮捕され、その取調べが開始されていることに照らすと、本件における原告らの供述の変遷、変転、相互の供述の食い違いは、その程度が著しいといわざるを得ない。」

13  秘密の暴露について

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決三二二頁五行目から三二五頁一行目までに示されているとおりであり、原告らの捜査段階における供述中にはいわゆる秘密の暴露は含まれていない。

【原判決の訂正等】

(一) 三二二頁五行目の「真実性」を「信用性」と、八行目から九行目にかけての「一月三一日付の員面(甲三六)」を「一月三一日付の検面(乙三六)」と各改める。

(二) 三二四頁七行目の「本件での証言時」の次に「(原審第一二回口頭弁論期日--平成三年一一月二二日)」を加え、七行目の「その当時も」から八行目の「いうまでもない」までを「その当時、実際に捜査していなかったとはえない」と改め、九行目の「被害品」の前に「そもそも本件刑事事件の端緒から原告らの逮捕に至るまでの経緯(前提となる事実1)によれば、捜査本部は、一月二二日から本件犯行につき捜査をして、原告ZがFとともに貝塚署に出頭した同月二六日夜までには、本件犯行に関係あるとみられる現場及び周辺の状況や被害者の被害状況等をほぼ把握していたことが窺える状況下で、捜査員である武内警察官が、」を加える。

(三) 三二四頁一〇行目と末行との間に次のとおり加える。

「さらに、原告Vは、がま口を橋の上から川に捨てた旨供述(甲一一一--2・10員面、甲一一七--2・14検面)し、その場所を図面に書き(甲一一一)、それに基づき捜索がなされているが、結局発見されるに至っていない(甲六八--2・20実況見分調書)から、Vの右供述は秘密の暴露に当たらない。」

五  被告府の違法行為(争点1)について

1  緒言

前示のとおり、原告らはいずれも本件刑事事件で緊急逮捕される直前又はその後間もなく(Vだけは逮捕から四日目に)本件犯行を自白しているが、本件における原告らの被告府に対する請求は、被告府の公務員である取調警察官の暴行等(暴行、誘導、強制)により意に反する自白をさせられたということを原因としてなされているところ、被告府が主張するように、捜査段階において、被疑者の供述と他の犯行者の供述や客観的事実との間に食い違いや矛盾があったとき、取調捜査官においてある程度の誘導的質問や理詰めの質問をして、当該被疑者の思い違いの供述や虚偽の供述を正したとしても、これをもって直ちに意に反した自白を強要したことにはならないが、その追及の程度が被疑者の人権を侵害するような強度の精神的圧迫の程度に達したような場合には、違法な方法による自白の強要となる。

そして、本件刑事事件は、原告ら五人が全員姦淫して射精したと構成されており、多数の遺留品や証拠物の存在する事件でありながら、捜査機関の解釈によっても有罪に結びつく物的証拠が乏しい(証人平野)というのであるから、有罪立証のためには共犯者とされる原告ら各自の自白による相互補強が必要であったという点に留意する必要がある。以下においては、前記一の「本件刑事事件における原告らの本件犯行に関する供述経過(概要)」、同二の「取調べにおける暴行等に関する原告らと取調警察官の供述等の検討」、同三の「関係証拠及び事情の検討」、同四「捜査段階における原告らの供述(内容・変遷等)の分析」等を総合考慮したうえで、右に述べたような観点に立って、原告ら各自について、右暴行等による自白強要事実の有無を判断することとする。

2  原告V関係

(一) 原告Vの暴行に関する供述を整理すると、L方においては、正座させられ、足による暴行(踏む、蹴る、肩と頭に足を乗せて倒す)を受けたというものであり、貝塚署においては、谷村警察官から髪の毛を引っ張られ、椅子から引きずり下ろされたというものであり、泉佐野署においては、一月三〇日に自白するまで、谷村警察官と福田警察官から髪の毛を引っ張られて揺さぶられたり、壁に後頭部をぶつけられ、正座させられ、蹴られ、足や膝を踏みつけられ、首を絞められ、自白後においては、あまり暴行を受けなかったが、答えたことが他の原告の言うことと違っていたら髪の毛を引っ張られたり、がま口が捜索で見つからなかったとき、蹴られたり、後頭部を壁にぶつけられたりしたというものである。そして、原告Vの暴行に対する供述は、本件刑事第一審、刑事控訴審、本件訴訟と暴行の態様が次第に誇張されて来ている(前記二8(一)(1)の判示参照)。

(二) 原告Vの右供述のうち、L方で逮捕直後に警察官から暴行を加えられたとしている部分は、以下の理由により採用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。そもそも、原告らの逮捕は、F(被害者の内縁の夫)に対し、共犯者(他の原告四名)の名を明かして本件犯行を自供し(但し、自己の姦淫・殺害行為への関与は否定)、Fとともに警察に出頭したZの逮捕が端緒となっていること、しかも、Zの出頭・原告らの逮捕段階(一月二六日・二七日)では、まだ、捜査本部は本件刑事事件における証拠関係の全体像を把握しておらず、右物的証拠が乏しいとの認識もそれほど強くなかったであろうことに照らすと、L方へ逮捕に赴いた警察官が、いきなり原告Vに暴行を加えるような状況になっていたとは考えられない。

(三) ところで、原告Vは、昭和五三年五月三〇日大阪地方裁判所で恐喝罪により懲役一年、三年間刑執行猶予に処せられ、本件逮捕・取調べ当時は執行猶予中の身であり(甲一、一〇五)、全体としての刑の長期化を恐れるあまり、容易に本件犯行を認めないであろうことが予想され、実際、他の原告らがいずれも逮捕される直前又はその後間もなく本件犯行を自白しているのに、逮捕から四日目(一月三〇日)になってようやく本件犯行を自白している。

右自白の経緯について、原告Vは、「自白するまで、髪の毛を引っ張られたり、床の上に正座させられたり、椅子に座っているのを蹴飛ばされて落とされるなどした。」(前記二3(一)(3)<4>・本件本人尋問)、「一月二九日に勾留質問があり、勾留が認められた。刑事が『お前はやっていないと言っているけど、裁判官が認めたんだ。』などと言った。頭にきたので、黙ったりしていると、刑事が認めろと言って、髪の毛を引っ張ったり、殴ったりした。いやになって、『死んでしまったる。』などと言って、取調室の窓ガラスに頭突きをやろうとしてみたり、壁や机に頭をぶつけようとしたりした。その後、刑事に『わかりました。明日全部お話しします。』と言った。暴行に耐えられなかった。」(同(4)<1>・甲二八二--刑事第一審第一七回公判)、自白した後は、自白するまでほどではないが、供述が他の原告らと食い違うと暴行を受けた。」(同(5)<1>・甲二八三--刑事第一審第一八回公判)、「弁護士に会った後自白を撤回しようとした。そうすると谷村警察官が怒って髪の毛を引っ張った。」旨(同(6)<2>・本件本人尋問)等を供述している。

これに対し、Vの取調べを担当した谷村警察官は、Vに対し「他の者は言っておるぞ、お前正直に言え。」とか、勾留尋問の前日に「明日は勾留や、お前の言い分が通るかどうか裁判官に聞いてもらえ。」とか、勾留決定後に「なんぼ関係ないと言うとっても、こうやって留められているではないか、帰してくれないではないか。」という話をしたことや、Vが否認から自白に転ずる前日に、Vを制止して小一時間くらい正座させたこと、Vが弁護人と接見した後に自白を撤回した際、叱ったり大きな声を出したりしたことを認めている(前記二3(二)(2)、(1)<3>、(5)<2>・本件証人尋問)。

また、原告らの捜査段階における供述の分析からは、取調警察官による誘導や押し付け等による自白強要の事実の存在が疑われ、しかも、原告Vの自白にはいわゆる秘密の暴露を見出すことができず、その信用性に疑問があることは前示のとおりである。

(四) しかるところ、原告Vは、一月三一日と二月一〇日に山本弁護士と、二月二日に岡本弁護士とそれぞれ接見しているが、「(弁護士には接見の最初からずっと本件犯行を)やっていないと言った。山本弁護士にも岡本弁護士にも暴行を受けていることを訴えた。正座でひざが赤黒くなったり、靴をはいたまま、ひざの上から足を踏まれたことでひざの皮がちょっとすりむけたりしたが、弁護士には見せていない。」旨供述している(本件本人尋問・前記二3(一)(6)<2>の判示参照)。

岡本弁護士は、右接見時の状況について、「V君の場合は、かなりひどい暴行を受けているみたいな訴えを私にしていました。」、「ひざを踏まれたり、蹴ったりということはあったような気がするんですが、…現在定かじゃありません。」、「(ほかの四人とは違うもっとひどい暴行を受けているという印象を受けたのかとの問いに対し)はい。」、「少なくとも…私には(本件犯行を)やっていないし、(警察に本件犯行を)認めたということは言うてないという言い方でした。」、「(記録上は、Vが警察官に本件犯行を自白した後に接見したことになっているが)本人の私に言うているのと調書が違ってるんじゃないですか。自分ではまだ認めていないみたいに言っても、ちゃんと自白調書が作られていることはよくあることですよ。」、「…僕の記憶ではほかの人達とは違って、かなりいろいろされてるようなことは言ってた記憶があるんです。…」、「(蹴られたり、踏んづけられたりした箇所としては)足を言っていましたね、正座した上から踏んづけられたんだとか、そんなこと言ってました。」、「…さっそく(接見の)帰りに取調官二人に声をかけて、こういうふうに言っているから、暴行とか脅かしたりしないようにしてほしいということは言いました。…小さな調べ室の中で警察官二人とかなり長時間にわたって(後に一〇分位と訂正)、話をしたことを覚えています。」、「…本人(V)は、…こういうふうに言っているけど、そんな暴行なんかしていないでしょうなと、そういうことは絶対にないようにしてくださいよと(警察官に話したところ)、そんな絶対先生してませんよと、そういう話でしたよね。」、「…私のほうはどっちかわからん事件やし、そんな無理をして調べせんといてくれというふうな言い方をしていますから、それに対して(警察官は)わしらの調べの心証としては絶対にやってるみたいな言い方をしていたというふうに思いますね。」と供述し、他の弁護人からも接見時に原告らから暴行の訴えがあったとの話が出ていたとしている(証人岡本)。

そうだとすれば、原告Vが、捜査段階から、無実であることと取調警察官に暴行を受けていることを弁護人に訴えていたことが認められ、弁護人においても取調警察官に対し無理な取調べをしないようにと申し入れていたと考えられている。

もっとも、原告Vの供述によっても、暴行の結果、正座でひざが赤黒くなったり、靴をはいたまま、ひざの上から足を踏まれたことでひざの皮がすりむけたというものであり(前記二3(一)(6)<2>・本件本人尋問)、現に弁護人との接見時等に負傷や暴行の外形的痕跡が発見されていないのであるから、取調警察官による暴行の事実が存在したとしても、顕著な痕跡をとどめにくい態様で行われたとみざるをえない。

(五) 以上のことなど、これまでに検討してきたところを総合考慮すると、逮捕後否認を続けていた原告Vが一月三〇日に自白に転じたのは、谷村警察官から共犯者とされる他の原告ら四名が全部自白していると告げられて追及されたことや、否認しているにもかかわらず裁判所が勾留を認め、同警察官から否認しても無駄であるなどと言われたことに自暴自棄になったことに加えて、泉佐野署において、谷村警察官に毛を引っ張られたり、壁に後頭部をぶつけられたり、床に正座させられたりしたことが契機となったものと認めるのが相当である。

そして、原告Vが、その後途中で一時自白を撤回したり、自白の内容を変遷させたりしつつも、結局、捜査段階において自白を維持していた最も大きな原因は、答えたことが他の原告の言うことと違っていた際等に髪の毛を引っ張ったり、蹴ったり、後頭部を壁にぶつけたりする等した取調警察官の対応(逮捕された一月二七日から起訴された二月一七日までの間における暴行を含む、誘導、押し付けによる取調べ)にあったと推認するのが相当である。

3  原告W関係

(一) 原告Wの暴行に関する供述を整理すると、貝塚署に連行される車中においては、平手で押されるようにはたかれたというものであり、貝塚署においては、浅田警察官ではない警察官に左右の耳の上あたりの頭部を殴られ、髪をわしづかみにされて壁にぶつけられ、両足を蹴られ、正座させられ、両手に手錠をはめられ、姿勢が悪かったりしたら、胸のところを蹴って後ろへひっくり返されたというものであり、泉大津署においては、最初の勾留の一〇日間の間に二、三回、調書を取るときに他の原告らと全然食い違うと言って、取調べをした浅田警察官から皮靴を脱いで殴る格好をされたり、机の下から蹴られたり、拳で顔を殴られたり、調書を取る警察官が二人くらい変わったが、最初の人にも蹴られたり、殴られたり、髪の毛をつかんだりされたが、同署での暴行はあまりひどいものではなかったというものである。そして、浅田警察官の暴行が貝塚署であったのか、泉大津署であったのかについて、同原告の供述は変転している(前記二8(一)(2)の判示参照)。

(二) 原告Wの右供述のうち、貝塚署に連行される車中において警察官から暴行を加えられたとしている部分は、前記2(二)と同じ理由(逮捕の端緒と逮捕当時の捜査本部の証拠関係に関する認識状況)により採用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(三) しかるところ、原告Wは、取調警察官に本件犯行を自白するに至った経緯について、「一月二七日午前七時四〇分ころに犯行を認めたが、午前四時四〇分くらいからそれまでの間、貝塚署での取調べで暴行を受けた。取調べは浅田警察官と二人の警察官から受け、『お前が首絞めて殺したんか。』などと言われ、『そんなん知りません。』と言うと、その名前のわからない二人の警察官から、頭、耳の上、耳の横などを拳で殴られたり、足や膝で太股などを蹴られたり、髪の毛をつかんて引っ張られ壁に頭をぶつけられたりなどの暴行を受けた(浅田警察官からは暴行を受けていない。)がまんできなくなって、やったと言った。」(前記二4(一)(1)<1>・丙一四--刑事第一審第一三回公判)、「(貝塚署において)約三時間暴行を受けて、辛抱できなくなって、やったと言い、それが調書にされた。」旨(同<3>・本件本人尋問)等を供述している。

これに対し、Wの取調べを担当した浅田警察官は、一月二七日午前四時二〇分からの弁解録取において、被疑事実を読み聞かせたら、Wは二、三分間震えながら黙って涙ぐんでいたが、その後、そんなに時間がたたずに、『すみません。』と事実を認めた旨供述し(同(二)(1)・甲二二〇--刑事第一審第二一回公判)、逮捕後短時間のうちにWが否認から自白に転じたことを強調する。

しかしながら、前示のとおり、1・27弁解録取書(甲一二一)には、被疑事実を認め、しかも、Zも姦淫の実行をしたとする詳細な供述記載があり、同様に逮捕時に否認していたV、Y及びXの各1・27弁解録取書(甲一〇二、一五八、一三八)の記載がいずれも簡潔なものであることに照らすと、貝塚署において同日午前四時二〇分から相当長時間にわたる取調べがあった後に、Wが自白するに至った可能性は否定できず、浅田警察官の右説明は容易に首肯できない。

(四) また、原告Wは、泉大津署において、XとWの強姦の順番が違うということ、財布の中身を知らないと言ったこと、水車から現場へ行くまでの道が他の原告の供述と違うということで三回暴行を受けた旨供述している(前記二4(一)(2)<2>・甲三三二--刑事控訴審第一八回公判)。

そして、原告らの捜査段階における供述を分析すると、前示のとおり、(1)被害者を捕まえる直前の行動について、原告Wは、2・6検面までは、原告ら五人で二色の浜駅近くをうろうろしていて被害者を見つけ、VとYがあとをつけ、残りの三人も少し遅れてつけていき、永江医院を曲がった先でVらが被害者の手を押さえ、あとの三人は大工安工務店の付近まで先回りしており、その付近で合流し、どこでやるか相談して、本件ビニールハウスに連れ込むことになったと供述していた(甲一三〇--2・6検面)のに、その後、何ら理由を説明することもなく、VとYの二人だけで被害者を捕まえ、他の三人は本件ビニールハウスの中から見ていたと供述を変えていること(甲一二六--2・9員面等)、(2)被害者を本件ビニールハウス内に連行した状況について、原告Wが供述をめまぐるしく変転させていること〔<1>Vが怒るから本件ビニールハウス内で待っていた(甲一二六--2・9員面)→<2>加勢するために本件ビニールハウスを飛び出し、VとYが高菜畑で被害者のパンタロンを脱がせたときそばにいて被害者の陰部を触った(甲一三一--2・13検面、甲一二八--2・15員面)→<3>下半身を裸にされた被害者が本件ビニールハウスに連れて来られるのを迎えた(甲一三二--2・15検面)〕、(3)原告Wは、Vが自白するまでは、被害者の殺害と被害者・Zの面識とを関連づけていなかったこと(甲一二四--1・27員面、甲一二六--2・9員面)等が認められる。

右を含む原告らの捜査段階における供述の分析結果からは、取調警察官による誘導や押し付け等による自白強要の事実の存在が疑われ、しかも、原告Wの自白にはいわゆる秘密の暴露を見出すことができず、その信用性に疑問があることは前示のとおりである。

(五) ところで、原告Wは、一月三一日と二月一四日に岡本弁護士と接見しているが、本件刑事第一審第一四回公判では、「(接見時に)弁護士には暴行を受けていることは話した。」旨の供述をしながら、どの程度具体的に話したかの質問には答られず(前記4(一)(3)<1>・甲二七七)、本件訴訟では、「弁護士の面会のとき、『やっていないが警察官にはやったと言っている。』と説明した。暴行を受けていることは話したと思うが、はっきり覚えていない。」旨供述している(同<5>・本件本人尋問)。

しかるに、岡本弁護士は、右接見時の状況について、「(一回目の接見時、Wが本件犯行について身に覚えがないということを言ったので、警察とか取調べの人たちにはどういうふうに言っているんだと聞いたところ)自分がやったということを認めたような供述をしているという返事でした。」、「(なぜそういうことを言うたんだと聞いたところ)取調官から怒鳴られたり、暴行を受けたりしているんだということを訴えてきました。」、「(暴行の態様について聞いたところ)頭を壁に押しつけれられるというふうなことを言っていたように記憶するんですが、…具体的に今どうだというのは、頭を壁に押しつけられるというふうなことしか出てこないんです。」、「…どこをやられたんやということで見せてみいといって聞くんですが、そういう傷はなかったようでした。」、「自分でもそういうふうに(傷が残らないような形で暴行を受けたということを)しきりに訴えておりました。」、「帰り際には、当然捜査官に被疑者(W)がこういうふうに訴えているんだと(壁に頭を打ちつけられるとか、大声で怒鳴りちらしてということを言っていると)、そういう取調べをしないでほしいということはお願いしてあります。」、「(二回目の接見時には、Wから)暴行を受けているというふうな訴えはなかったんですが、…ときどき合わないときに大声出されるんやとか、怒鳴り散らされるんだと、事実がほかのものと言うていることと合わないんじゃないかということで怒鳴られるということは訴えていました。」と供述している(証人岡本)。

そうだとすれば、原告Wが、捜査段階から、無実であることと取調警察官に暴行を受けていることを弁護人に訴えていたことが認められ、弁護人においても取調警察官に対し無理な取調べをしないようにと申し入れていたと考えられる。

もっとも、原告Wの供述によっても、右暴行で頭にこぶができ、手錠の跡が赤くなったというに止まり(前記二4(一)(1)<3>・本件本人尋問)、現に弁護人との接見時等に負傷や暴行の外形的痕跡が発見されていないのであるから、取調警察官による暴行の事実が存在したとしても、顕著な痕跡をとどめにくい態様で行われたとみざるをえない。

(六) 以上のことなど、これまでに検討してきたところを総合考慮すると、原告Wは、貝塚署においては、取調べに関与した警察官から頭を壁に押しつけられたり、両足を蹴られたり、正座させられたりし、泉大津署においては、他の原告らの供述と食い違うときに、浅田警察官に皮靴を脱いで殴る格好をされたり、机の下から蹴られたり、髪の毛をつかんだりされたものと認めるのが相当である。

そして、原告Wが本件犯行について自白し、その内容を変遷させつつも、結局、捜査段階において自白を維持していた最も大きな原因は、同原告が逮捕された一月二七日から家庭裁判所に送致された二月一七日までの間における取調警察官の対応(暴行を含む、誘導、押し付けによる取調べ)にあったと推認するのが相当である。

4  原告Y関係

(一) 原告Yは、取調警察官に本件犯行を自白した経緯について、「一月二七日午前五時すぎに逮捕され、貝塚署に行き、角谷警察官から取調べを受けた。最初、『事件は知らない。』と言ったが、その日の昼一二時ころには事件をやったと言った。認めた理由は、どつかれたのと、午前一一時ころ取調室でZに会わされ、Zから自分(Y)が被害者を殺したように言われたことである。捕まって一時間から二時間してから、その日の夜に高石署に連れて行かれる少し前までずっとどつかれていた。角谷警察官とか名前の知らない人がスリッパで頭を何十回とどついたり、腹を蹴ったり、正座させたり、歯ぐきを押さえたり、耳を引っ張ったりした。やったと言ってからも、皆の言うてることと話が違うということで(暴行が)続いた。手のけがも見つけられた。Xと力比べをやってできたと言ったが全然信用してくれず、どつかれた。お前首を絞めたんやろうと言われ、違うと初めは言っていた。しかし、『お前だけ助かろうと思うな。お前が絞めたんやろう。」と言われ、『はい絞めました。』と言った。「その時に引っ掻かれた傷だろう。』と言われ、違うと言ったらどつかれるし、はいと言った。『お前一人でそんな度胸があるか。』と言われ、「Vと一緒に絞めた。』と言った。」(前記二5(一)(1)<1>・甲二七五--刑事第一審第一二回公判)、「自白した理由は、アリバイのことを警察官が信用してくれないし、Zが取調室へ来て、警察官がZに対し、自分のことを『こいつがやったんやな。』と言い、自分に対し、『皆自白しているから正直に言え。』と言われたこと、ずっと暴行を受けていたことである。

(貝塚署で)自白するまでの暴行は、角谷警察官など三人くらいで羽交い締めにされて、腹をどつかれたり、足を蹴られたりした。(自白した後の貝塚署での暴行は)スリッパ(スリッパというのかサンダルというのかよくわからない)で殴ってきたり、正座させて太股を蹴ってきたり、髪の毛を引っ張ったりした。手の傷を隠そうとしたことはない。Xとの力比べの傷と説明した。信じてもらえず、暴行を受けていたので、投げやりみたいになって調書のようになった。高石署でも角谷警察官から蹴られたり、髪の毛を引っ張られたりした。角谷警察官と本田警察官によりされたが、本田警察官は、逃げようとする自分を羽交い締めにして押さえたりして抵抗できないようにしており、本田警察官自身からはほとんど暴行はなく、角谷警察官が暴行をした。」旨(同(1)<3>、(2)<4>・本件本人尋問)等を供述している。

(二) 右供述を含む原告Xの暴行に関する供述を整理すると、貝塚署においては、スリッパないしサンダル様のものでたたかれ、羽交い締めのようにされて腹を蹴られたり、正座させて太股を蹴られ、耳や髪の毛を引っ張られるなどし、自白に至ったというものであるが、スリッパで殴られたのかサンダルで殴られたのか混乱しており〔この点につき、角谷警察官は、当時スリッパもサンダルも履いていなかった旨供述している(前記二5(二)(1)<3>、本件証人尋問)〕、自白後の貝塚署及び高石署においても他の原告らと供述が食い違うときなどに、同様の暴行が続いたというものであるが、角谷警察官と本田警察官の暴行の有無について混乱がある(同8(一)(3)の判示参照)。

しかしながら、右供述のうち、逮捕当日取調室でZに会わされたとの部分は、前示のとおり角谷警察官はこの点についてあいまいな供述をしている(甲二一八--刑事第一審第二〇回公判)が、原告Zははっきり覚えていないと供述しており(同原告の本件本人尋問)、たまたま取調室で鉢合わせとなり、顔を見合わせたにすぎないとも考えられること、逮捕当日長時間にわたり(当日夜に高石署に連れて行かれる少し前まで)暴行を受けたとの部分は、前示のとおり原告Yが高石署に留置されたのが同日(一月二七日)午後一時四〇分であることに照らし、いずれもたやすく採用できない。

(三) 一方、Yの取調べを担当した角谷警察官は、「(一月二七日)貝塚署で弁解録取をした際、Yは『アリバイは作ってある。』と言っていた。そのアリバイの二一日のことを聞き、前日と次の日のことを聞いたら全く答えられなかった。『その手どないしたんや。』と言ったら、手を下ろしたり、両手を交互に置いて隠したりし、しまいには後ろへ隠す状態であった。追及したら隠すばかりで正当な理由は言えなかった。取調開始から五〇分から一時間弱経って(刑事控訴審の公判では一五分と言ったが、訂正する)、午前八時前くらいに、アリバイは言えない、手の傷は言えないと行き詰まって、『Xはどない言うてますか。皆どう言うてますか。』ということを言った後に自供した。昼過ぎころまでかかって1・27員面(甲一六一)を作成した。」旨供述し(前記二5(二)(1)<3>・本件証人尋問)、Yが否認から自白に転じた契機は、Yの手の甲の傷にあるとしているが、右傷が被害者によってつけられたものと断定するのは困難であり(前記三10の判示参照)、右自白の契機には大きな疑問が生じる。

(四) また、原告らの捜査段階における供述の分析からは、取調警察官による誘導や押し付け等による自白強要の事実の存在が疑われ、しかも、原告Yの自白にはいわゆる秘密の暴露を見出すことができず、その信用性に疑問があることは前示のとおりである。

特に、原告Yは、被害者殺害の実行行為について、当初、Yが「殺してしまえ。」と言うなり、被害者の体に乗りかかり、その首を両手で輪にするように絞めると、被害者がものすごい力でYの両手に爪を立てるように掴みかかって暴れるので、VがYの手の上から両手で絞めた(甲一六一--1・27員面)との、他の原告らが誰も述べていない自己に極めて不利な供述をしていたのに、その後は、一転して、Vが被害者に馬乗りになって両手で首を絞め、「お前らもやれ。」と言ったので、Yも被害者の頭の方から、Vの締めつけた手の上から両手でのしかかって締めたとの、自己の立場とVの立場とを逆にした供述に変えている(甲一六五--2・8員面)が、その背景には、手に傷のあるYを被害者の殺害の実行行為の主役にしようとした取調警察官による自白強要の事実が強く疑われる(前記四8(三)、(七)の判示参照)。

(五) ところで、原告Yは、二月六日に岡本弁護士と、同月一四日に水谷弁護士とそれぞれ接見しているが、「最初弁護士が来たとき(岡本弁護士)には、やったと言った。水谷弁護士が高石署に面会に来たとき、やっていないと言った。」(前記二5(一)(4)<1>・甲二七六--刑事第一審第一三回公判)、「弁護士(どちらか特定した供述なし)にも暴行を受けていると言った。どういう暴行を受けているか具体的なことは言っていない。どこを殴られたとか怪我はないかとか弁護士からは聞かれていない。」旨(同<3>・本件本人尋問)供述している。

岡本弁護士は、右接見時の状況について、「…事実について身に覚えがあるかないかと聞いたら、自分たちはやったと間違いないという返事でした。」、「そうすると、一番最初にだれとだれが(被害者)を連れて来たんだと、被害者の衣服をどうして脱がしたんだというふうなことを順序聞いていきますね。僕がかなり時間がかかって、彼の言うことに疑問を持ったのは、服を脱がしたところを、Y君は自分で脱がしたとこう言っているんですが、どんなものを脱がしたんだと聞いたんですが、パンティストッキングを脱がしたということが全然出てこないんです。冬のことですし、女性ですし、まあパンティストッキングは非常に手間がかかるんだろうということを、私なりの思いがあったものんですから、その点については順番に落ち着いて、どんなふうに下着を脱がしていったんだと、Y君と接見して聞いたんです。Y君は結局パンティストッキングを脱がしたんだということは言わなかったのだけは、鮮明に覚えています。」、「(警察官に暴行されているとの訴えは)あったと思います。」、「(訴えの内容は)やっぱり、大きな声で怒鳴られるとか、壁に頭を押しつけられるとか、そういうことのようだったと思うんですが、彼から具体的にどういうふうに聞いたという現在の記憶はないんです。」、「彼は自分がやったと言っているけれども、この事件は難しい事件だなと、私としては全く分からないと。彼が自分がやったと、警察に言ったと。自分もやったということを私に言いましたけれども、それがうのみにできないなと、そういう事件であるなということは思いました。どちらが正しいかということは、全く分かりませんでした。」、「(接見の終わりころ)私がそれまで会った人(前示のとおり、この時点で岡本弁護士が接見を済ませていたのは、WとVである)はこう言っている(やっていないと言っている)よということを言ったら、実は僕もそうや(自分もやっていない)と(否認に変わった。)…」と供述し、他の弁護人からも接見時に原告らから暴行の訴えがあったとの話が出ていたとしている(証人岡本)。

そうだとすれば、原告Yが、捜査段階から、無実であることと取調警察官に暴行を受けていることを弁護人に訴えていたことが認められる。そして、岡本弁護士が、右接見時におけるやり取りの中で、原告Yの本件犯行に関する供述の内容に疑問を持ったとしている点は看過し難い。

もっとも、原告Yの供述によっても、暴行のために体に異常は出なかったが、足を引きずったりしたことはあったというに止まり(前記二5(一)(2)<4>・本件本人尋問)、現に弁論人との接見時等に負傷や暴行の外形的痕跡が発見されていないのであるから、取調警察官による暴行の事実が存在したとしても、顕著な痕跡をとどめないような態様で行われたとみざるをえない。

(六) 以上のことなど、これまでに検討してきたところを総合考慮すると、原告Yは、角谷警察官から、貝塚署においては、正座させらて太股を蹴られたり、耳や髪の毛を引っ張られるなどし、高石署においては、他の原告らの供述と食い違うときに、右と同様の暴行を受けたものと認めるのが相当である。

そして、原告Yが本件犯行について自白し、その後途中で一時自白を撤回したり、自白の内容を変遷させたりしつつも、結局、捜査段階において自白を維持していた最も大きな原因は、同原告が逮捕された一月二七日から家庭裁判所に送致された二月一七日までの間における取調警察官の対応(暴行を含む、誘導、押し付けによる取調べ)にあったと推認するのが相当である。

5  原告X関係

(一) 原告Xの暴行に関する供述を整理すると、貝塚署においては、、右手に手ぬぐいかハンカチかタオルを巻いた警察官から顔を一〇発以上殴られ、正座させられ、後ろにひっくり返され、腹、腰、脛を蹴られたり、足を踏みつけられたりしたというのもであり、泉佐野署においては、特段の暴行は受けていないが、正座させられ、背中に足を乗せられたりする等したというのもである。右のように、手ぬぐいかハンカチかタオルかはっきりせず、また、暴行を加えた警察官の特定ができないし、本件刑事第一審、刑事控訴審、本件訴訟と暴行の態様に関する同原告の供述は次第に誇張されて来ている(前記二8(一)(4)の判示参照)。

(二) しかるところ、前示のとおり、原告Xは逮捕時には「知りません。何のことですか。」と否認しており(甲一三七)、山之口警察官に対する弁解録取署では「一月二一日はにしきの浜の駅や海の方に行きました。言いたいことは只、申し訳ありません。それ丈です。」とのみ供述し(甲一三八)、成原警察官に対する1・27員面で本件犯行を自白している(甲一四一)。

この点について、原告Xは、「貝塚署で暴行を受けた後、逮捕当日の午前七時半ころ怖くなって認めた。」、「貝塚署で(取調べ開始から)四〇分くらいで認めた。暴行を受けて気が動転して殺したことを認めた。」(前記二6(一)(1)<1>・甲二八〇--刑事第一審第一六回公判、甲三〇三--同第四〇回公判)、「(貝塚署で暴行を受けて)午前七時三〇分ころ認めたが、恐怖感と何もわけがわからなかった。」旨(同<2>・甲三三〇--刑事控訴審第一七回公判)等を供述している。

これに対し、逮捕直後に同原告の取調べを担当した成原警察官は、Xが否認から自白に転じた経緯について、本件刑事公判では、右経緯を特に記憶していないとしたうえで、事件当時の行動を聞いているうちに説明がつかないこと等があったんではないかと思うとのあいまいな供述をしていた(同(二)(3)<1>・甲二二二--本件刑事第一審第二二回公判)のに、本件訴訟では、ZはXが共犯者であると明言していること、ほかにも共犯者がおり、次々と逮捕されている様子であること、いずれ真実は分かるということ、お前も共犯者やろうということ、重大事件を起こして反省の気持ちはないのかということで、Xを説得したところ三〇分かちょっとしてから自供を始めたと説明し(同<2>・本件証人尋問)、先の刑事公判で同じ説明ができなかったのは、初めての公判経験であったため、頭の中に同じ答えがあったにもかかわらず、うまく言えなかったと弁解している。

しかしながら、右弁解はそれ自体措信しがたく、自白の契機として右述べるところには疑問が残る。

(三) また、原告Xは、自白後の取調状況について、「認めてからあまり経たないうちに、泉南署に行き、武内警察官と谷口警察官に取り調べられた。泉南署での取調べでは、正座ばかりで、暴力は受けていないが、背中の上に足を乗せて押し付けられたことはある。警察官の質問に答えて、警察官のきげんがよくなると正座を止めさせてくれた。」(前記二6(一)(2)<1>・甲二八〇--刑事第一審第一六回公判)、「(泉南署では)推測で言ったり、(原告ら)五人の中で食い違ったときに、正座させられ、腹とかを踏みつけられた。正座した太股のところに足を乗せられた。」旨(同<3>・本件本人尋問)等を供述している。

さらに、前記証拠(原告X--甲二八〇--刑事第一審第一六回公判、武内警察官--本件証人尋問)によれば、一月二八日以降原告Xの取調べを担当していた武内警察官が、同原告の検事調べに同席していたことが認められ、また、原告らの捜査段階における供述を分析すると、前示のとおり、原告XはVが自白するまでは、被害者の殺害と被害者・Zの面識とを関連づけていなかったこと(甲一四一--1・27員面、甲一四三--2・3員面)等が認められる。

右分析や検察官の取調べの際に武内警察官が同席していた事実からは、取調警察官による誘導や押し付け等による自白強要の事実の存在が疑われる。しかも、原告Xの自白にはいわゆる秘密の暴露を見出すことができず、その信用性に疑問があることは前示のとおりである。

(四) ところで、原告Xは、二月七日に岡本弁護士と、同月九日に今口弁護士とそれぞれ接見しているが、「(接見時に)岡本弁護士に暴行の話をしたら、『警察に言っておく。』と言われた。しかし、『またどつかれるので、言わんといて。』と言った。岡本弁護士が警察に言ったので、後で正座させられどつかれた記憶がある。」旨供述している(前記二6(一)(4)<7>・本件本人尋問)。

しかるに、岡本弁護士には、右接見時の状況について、「X君なんかはしっかりしてるというふうな印象を見て取ったんです。どちらかと言うと、みんなそうなんですが、具体的な暴行をだれにやられたんやとか、どういう人相の人やとか、具体的に何日にどうやられたんやと、弁護人としては聞いていきますね。そうすると、うまくよう説明しないんです。正直言って、そのときうまく説明してくれないから、彼らの訴えが本当かどうかということも、私としては半信半疑です。」、「(本件犯行について)W君と同じように、身に覚えがないことだということを言っておりました。」、「(WとVから暴行の訴えがあり、警察官にそういう調べをしないように申し入れたことははっきり覚えているが)X君(について)はそちら(警察)のほうで(私が)言ったという記録があるなら言ったんでしょうけれども、明確には覚えていませんね。」、「(Xの暴行の訴えは)やっぱり非常にあいまいでしたね。」と供述し、他の弁護人からも接見時に原告らから暴行の訴えがあったとの話が出ていたとしている(証人岡本)。

そして、Xの取調べを担当した武内警察官は、岡本弁護士から申入れがあり、同弁護士にXの取調室を見せたとしている(武内警察官--甲二二三--刑事第一審第二三回公判、丙九、同警察官の本件証人尋問)。

そうだとすれば、原告Xが、無実であることと取調警察官に暴行を受けていることを、捜査段階から弁護人に訴えていたことが認められ、弁護人が、取調警察官に対し無理な取調べをしないようにと申し入れていたと考えられる。

もっとも、原告Xの供述によっても、右暴行で怪我はしていないが、口の中が切れたので腫れていたかも知れないというに止まり(前記二6(一)(1)<3>・本件本人尋問)、現に弁護人との接見時等に負傷や暴行の外形的痕跡が発見されていないのであるから、取調警察官による暴行の事実が存在したとしても、顕著な痕跡をとどめないような態様で行われたとみざるをえない。

(五) 以上のことなど、これまでに検討してきたところを総合考慮すると、原告Xは、取調警察官から、貝塚署及び泉南署において、正座させられたり、腹などを蹴られたり、足や正座した太股を踏みつけられたりしたものと認めるのが相当である。

そして、原告Xが本件犯行について自白し、その内容を変遷させつつも、結局、捜査段階において自白を維持していた最も大きな原因は、同原告が逮捕された一月二七日から家庭裁判所に送致された二月一七日までの間における取調警察官の対応(暴行を含む、誘導、押し付けによる取調べ)にあったと推認するのが相当である。

6  原告Z関係

(一) 原告Zは、取調警察官に本件犯行を自白した経緯等について、「警察官の暴行は、捕まってから四日ぐらいしての一月三〇日ぐらいころからである。一月二六日に警察(貝塚署)に行ったとき名前を知らない警察官に顔をどつかれた。取調室では警察官が五、六人入ってきて、『お前ビニールハウスやったん違うか。』と聞いてきた。『やってない。』と言った。警察官が『もうこっちでちゃんとわかっているんやから早く言わんかい。』と言い、黙っていたら、どついてきた。仕方がないから『やりました。』と言った。原告ら四人の名前を出したのは、二一日の夜に水車にこの四人といたからである。『この四人が強姦し、自分はしていない。』と言った。さらに、VとYが首を絞めて殺したと言った。警察が怖くて、仕方がないから自分の思うとおりに言った。Fがサイフなかったかと聞いていたので、警察の調べで、『Vががま口を取った。』と言った。」(前記二7(一)(2)<1>・甲二七三--刑事第一審第一〇回公判)、「貝塚署にFに連れて行かれたとき、Fに脅かされたと警察に言った。怖くて殺されると思ったからやったと言った。警察は何もしてくれなかった。」(同<1>・甲三〇二--同第三九回公判)、「貝塚署で警察官には『やっていない。』と言った。平手で顔を殴られ、髪をつかまれて頭を壁にぶつけられ、足も腿も踏まれた。二人の警察官からされた。そして三〇分位でやりましたと言った。」(同<2>・甲三二〇--刑事控訴審第七回公判・証人として)、「警察(貝塚署)に行って、『やったやろ。』と言われ、やっていないと言った。警察官は、げんこつで顔を五、六発殴った。何されるかわからないから、やったと言った。」(同<3>・甲二六八--刑事再審)、「(貝塚署で警察官に)顔(ほっぺた)をげんこつで殴られたり、髪の毛をつかんで机にぶつけられた。殴られたりして、一応怖かったのでやりましたと言った。」(同<4>・本件本人尋問)、「(一月)二七日昼過ぎに(和泉署の)留置場に入ったが(前示のとおり、Zが貝塚署から和泉署に移され同署に留置されたのは同日午後三時四〇分である)、それから二、三日してから鑑別所に送られるまで毎日暴行があった。途中で調書をとる人が代わったが、前の人も後の人も暴行をした〔ちなみに、Zの取調担当者は、角谷警察官、北川警察官、河原警察官の順に交代した(前記7(二)(1)ないし(3)の各<1>・甲二一八、二二七、二二八)〕。顔を殴られたり、二、三回机に髪の毛を引っ張ってぶつけられ、二、三回頭を壁にぶつけられ、一、二回後ろから背中を蹴られた。他の原告らと話が違うと言って暴行された。」旨(同(一)(3)<4>・本件本人尋問)等を供述している。

(二) 右供述を含む原告Zの暴行に関する供述を整理すると、貝塚署における暴行に関する部分は、暴行を受けた時期(貝塚署に出頭した一月二六日か、逮捕されて四日くらいした一月三〇日ころからか)、暴行の態様(殴ったのは手拳なのか平手なのか)や暴行の内容(顔を殴る、髪の毛を引っ張る、頭を壁や机にぶつける、蹴る、足を腿を踏む)等が一定しておらず、和泉署における暴行に関する部分は、他の原告らとの供述の食い違いなどを理由に、顔を殴る、髪の毛を引っ張る、背中を蹴るなどされたという趣旨では概ね一貫しているが、本件刑事第一審、刑事控訴審、刑事再審、本件訴訟と暴行の態様に関する同原告の供述は次第に誇張されて来ている(前記二8(一)(5)の判示参照)。

(三) これに対し、被告府は、Zは被害者の内縁の夫に連れられて出頭してきた者であって、しかも、当時、警察がZを犯人と疑わせる資料を全く持っていなかった〔Fの手帳の犯行メモ(甲三三九)は、検察庁において一月三一日に領置された(甲七八、七九)〕状況からすれば、まず、取調警察官は、Fが被害感情にかられて無理に犯人に仕立てているのではないかとの疑いを持って、Zの述べることが果して本当のことなのかを知ろうとしてZにできるだけ語らせるものであり、それを具体的な状況も聞かずに、黙っているからといって殴ることなどあり得ないし、いわんや、Zを犯人と決めてかかって自白を強要することなどあり得ないと主張する。

なるほど、原告Zは、自己の姦淫・殺害行為への関与は否定しているとはいえ、被害者の内縁の夫であるFに共犯者(他の原告四名)の名を明かして本件犯行を自供し、Fとともに警察に出頭してきたものであり、右出頭当時は、まだ、捜査本部は本件刑事事件における証拠関係の全体像を把握しておらず、物的証拠が乏しいとの認識もそれほど強くなかったであろうことに照らすと、暴行に至る経緯としては根拠が乏しいといわざるを得ない。そうだとすれば、原告Zの右暴行に関する供述のうち、少なくとも一月二六日の貝塚署出頭時に名前を知らない警察官や取調室で五、六人の警察官から殴られたとしている部分は採用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

しかしながら、原告Zは、Fに本件犯行を自白した経緯について、「一月二六日にFと会った。事件のことを言われたが、『友達の家にいた。』と言った。喫茶店で、Fに『殺すぞ』と言われた。脇浜へ行った。事件のことを、しゃあないから言うてしまった。殺されると思ったので言った。Fから殺されると思ったのは、顔を三、四回どつかれ、腹も三、四回どつかれ、ナイフ(後に包丁と訂正)を持ってきたからである。原告らの名前を出した。『四人は強姦して殺した。自分だけしなかった。』と言った。その日(同月二一日)、四人と水車に一緒にいたから名前を出した。その後、Fの家に行った。(Fが)何か書いていた。(Fに)書けと言われたので、名前を書いた。Fがナイフ(後に包丁と訂正)で右手人差し指を切って指印を押させた。無理やりさせられた。」旨(前記二7(一)(1)<1>・甲二九五--刑事第一審第三四回公判)等を供述していること、しかも、F自身が、脇浜でZの顔(ほっぺた)を一回殴っただけであるとする一方で、ZがFに対して自白をした際の様子について、「助けてくれという様子ですね。私に殺されると思っていたんでしょうね。本人も手をくだしてないと血判を押したし…もし、(手を)くだしていたらその時は私も警察へ行かずにどないなっていたか判らんと思います。私も非常に感情がたかぶっていた時期だしZが私に殺されると思って…表情が手に取るように判りましたね。」と供述していること(甲一七九--刑事第一審第五回公判)に照らすと、原告Zの初期の自白の誘因としては、Fに対する恐怖感情が強く影響していたことは否定できない。

(四) しかるところ、原告Zは、Fとともに貝塚署に出頭した時点で、自己の姦淫と殺害の実行の点を除いて本件犯行を自白し、その旨の1・27員面(甲二三三--角谷警察官)を録取され、逮捕された後、1・27員面(甲二三二--北川警察官)及び甲田検察官に対する1・28弁解録取書(甲二三〇)では、自己が姦淫したことを含めて自白していたのに、裁判官の1・29勾留質問調書(甲二三一)では、再度、自己が姦淫したことと被害者の首を絞めたことは否定し、Vに誘われてついて行った旨供述しており、原告Zが再度、本件犯行を全面的に自白するに至ったのは、Vが否認から自白に転じた後の二月一日以降である(前記一1、3の判示参照)。

この点について、北川警察官は、「一月二七日昼すぎ、角谷警察官の後に貝塚署でZを取り調べた。二月三日まで取り調べた。その後は河原警察官が取調べを担当した。Zは、『Fからえらい責められた。僕はついていっただけやと、強姦はしていないし、殺しにも手をかけていないと言い張った。僕がやったと言えば、後でFからどのようにされるかわからないので今まで言えなかった。もう刑事さんにははっきりと申します。』ということでZも(強姦や殺害に)関与したとの自供をしていった。お前もやったんじゃないかとの追及はした。一月二七日の調書(甲二三二--1・27員面)で強姦、二月三日の調書(甲二三六--2・3員面)で殺害について、関与を認めた。ただし、一月三〇日、三一日の取調べで、殺害行為への関与の自供があったように思う。二七日午前の角谷警察官の取調べ(甲二三三)では、Z自身としては、強姦も殺害も否認していたのに、なぜ午後の取調べ(甲二三二)で強姦について自供したのか記憶がない。そのときが初めての自白であることは知っていた。なぜ自白に転じたのか分からない。記憶に残っていない。厳しく追及したわけではない。強い言葉で尋ねたこともない。」旨供述している(前記二7(二)(2)<1>・甲二二七--刑事再審)。

しかしながら、原告Zの北川警察官に対する供述調書(右1・27、2・3のの各員面を含む)には、Zが当初姦淫の実行と殺害行為への関与を否定していた理由(Fに対する恐怖感)について触れたものがないこと(甲二三二ないし二三六)、同警察官によれば、一月三〇日、三一日の取調べでZが殺害行為への関与を認めていたというにもかかわらず、二月一日まで供述調書を作成していないこと(甲二二七、二三四ないし二三六)をも併せ考えると、Zの知的能力や表現力〔ちなみに、北川警察官自身も取調べ時のZについて、知能指数や表現力が劣り、非常におとなしく、緊張し過ぎるぐらいの無口な性格のように感じ受けられ、吃った話し方をしていた旨供述している(甲二二七)〕を考慮に入れうるとしても、北川警察官の右説明はあいまいで措信できない。

また、原告らの捜査段階における供述の分析からは、取調警察官による誘導や押し付け等による自白強要の事実の存在が疑われ、しかも、原告Zの自白にはいわゆる秘密の暴露を見出すことができず、その信用性に疑問があることは前示のとおりである。

(五) ところで、原告Zは、二月五日と同月一〇日に浜本弁護士と、同月八日に岡本弁護士とそれぞれ接見しているが、「浜本弁護士の面会のとき、警察に殴られると言った。やっていないとも言った。」(前記二7(一)(6)<1>・甲二七四--刑事第一審第一一回公判)、「浜本弁護士の面会で暴力を受けていることは言った。」(同<3>・本件本人尋問)旨供述している。

右接見時の状況について、岡本弁護士は、「(本件犯行については)身に覚えがないと言っておりました。で、なぜ手帳に書いたんやと聞くと、おっちゃん(F)が怖かったんだと、おっちゃんに脅かされて、仕方なしに書いたんだと言っておりました。」、「Z君はちょっと話をすると、この子は…知恵遅れだなという感じが見て取れました。Z君には捜査の端緒とか手帳の問題とかそういうことも聞いていましたんで、注意したんですが、かなり怖がっているといいますか、そういう感じで暴行についても、いろいろと怒鳴られたりいろいろされるんだということなんですが、具体的にじゃあ、どうされたんだと私が聞いても、それを上手に答えられるような訴えはしていなかったと思います。」、「(暴行の態様等について)具体的なことは聞いていないという記憶ですね。」と供述し、他の弁護人からも接見時に原告らから暴行の訴えがあったとの話が出ていたとしている(証人岡本)。

そうだとすれば、原告Zが、捜査段階から、無実であることと取調警察官に暴行を受けていることを弁護人に訴えていたことが認められる。

もっとも、前示のとおり、弁護人との接見時等に負傷や暴行の外形的痕跡が発見されていないのであるから、取調警察官による暴行の事実が存在したとしても、顕著な痕跡をとどめないような態様で行われたとみざるをえない。

(六) 以上のことなど、これまでに検討してきたところを総合考慮すると、原告Zは、取調警察官から、貝塚署においては、髪の毛を引っ張られたり、足や腿を踏まれたりし、和泉署においては、他の原告らの供述と食い違うときに、同様の暴行を受けたものと認めるのが相当である。

そして、原告Zが本件犯行について自白し、その内容を変遷させつつも、結局、捜査段階において自白を維持していた理由としてはFに対する恐怖感情が影響していることは否めないが、その最も大きな原因は、貝塚署に出頭する前のFの態度に加えて、同原告が逮捕された一月二七日から家庭裁判所に送致された二月一七日までの間における取調警察官の対応(暴行を含む、誘導、押し付けによる取調べ)にあったと推認するのが相当である。

7  まとめ

刑事事件の捜査段階における自白とは被疑者が犯罪事実、すなわち特別構成要件に該当する事実自体の全部又は一部について自己の刑事責任を認める供述を指すものと解せられるが、およそ捜査官が被疑者から自白を取得するに当たっては、被疑者の年齢、知的能力、身体状況などその属性に応じて、公正かつ人権尊重の上に立って相当性の範囲・程度を逸脱しない態様で取調べが行われなければならないというべきである。

本件についてみるに、取調当時(昭和五四年一、二月)、原告V(昭和三二年一二月二六日生)は成人したて、その余の原告ら(いずれも昭和三五年生まれ)は少年であり、しかも、知的能力や表現力が相当劣ることを取調警察官らも認識していたことが推認される(甲二二六--甲田検察官の刑事再審における証言、甲二二七--北川警察官の刑事再審における証言、証人平野)。したがって、原告らに対する取調べは、より慎重に原告らの情操面にも意を用いてなされるべきであったにもかかわらず、本件刑事事件における被告府の公務員である警察官は、原告らの主張する程のものではないにしても、前示のとおり有形力の行使を伴う態様で身体的、心理的強制のもとに自白を獲得したものであって、その取調べの態様は社会的相当性の程度を逸脱するものであり、違法であるといわざるを得ない。

六  被告国の違法行為(争点2)について

1  起訴の違法について

本件のように、刑事事件において無罪判決が確定した場合、あるいは有罪確定判決が再審により取り消され、無罪判決が確定した場合、公訴提起時における各種の証拠資料(検察官が公訴提起時に現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料)を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があったときは、検察官の公訴提起(起訴)は、国家賠償法一条一項にいう違法な行為に該当しないと解すべきであることは、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決三三五頁三行目から三三六頁三行目までに示されているとおりである。

【原判決の訂正等】

(一) 三三五頁七行目の「検察官が起訴時における各種の証拠資料」を「公訴提起(起訴)時における各種の証拠資料(検察官が公訴提起時に現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料)」と改める。

(二) 三三六頁二行目の「一三六七頁、」の次に「最高裁昭和五九年(オ)第一〇三号平成元年六月二九日第一小法廷判決・民集四三巻六号六六四頁、」を加える。

2  証拠判断の合理性について

そこで、証拠資料を総合勘案して、本件刑事事件の公訴提起に関し、検察官が有罪と認められる嫌疑があるとした判断過程に合理性がないといえるか否かについて検討する。

(一) 原告らの捜査段階における供述の任意性及び信用性に関する検察官の判断の合理性について

右判断に合理性がないとはいえないことは、原判決三三六頁一〇行目から三四二頁二行目までに示されているとおりである。

但し、三三九頁一〇行目の「抗議するなどしていなかったのであって」の次に「(証人岡本)」を、三四〇頁五行目の「本件刑事事件」の前に「原告らの検察庁での取調べの際に警察官が同室していた形跡が窺えることを考慮しても、」を各加える。

(二) 物的証拠等((一)で触れたものを除く)の証拠評価等に関する検察官の判断の合理性について

右判断に合理性がないとはいえないことは、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決三四二頁五行目から三四九頁末行までに示されているとおりである。

【原判決の訂正等】

(1) 三四二頁九行目から一〇行目の「評価されることは先に判断したとおりである。」を「評価することができる。」と改める。

(2) 三四五頁四行目と五行目との間に次のとおり加える。

「この点につき、原告らは、『甲田検察官は、科学捜査研究所の技官から、断片的に、血液型に関する三点の重要な物的証拠(<1>被害者の膣内から検出された体液、<2>被害者が着用していたオーバーコートの裏地から検出された班痕、<3>被害者の両乳房から検出されたプチアリン反応を示す体液)のそれぞれから原告らの血液型が検出されないことについて、個別、例外的な理由の説明を一応聞いただけであり、右三点の証拠のいずれからも原告らの血液型が検出されないことに関する総合評価についてまで、専門家に問い合わせた形跡はない。右三点の証拠のうち、いずれか一点しか存しない場合であれば、これについて個別、例外的な理由の説明を受ければ、そのような理由があり得ると判断するのも一応理解できるが、本件の場合は、本来例外的にしか考えられない否定的な証拠が三点も揃っているのだから、合理的な理解をすれば、単に例外的、否定的な証拠が三点揃っているというにとどまらず、原告らの本件犯行への関与に積極的な疑問を呈する事実と評価することができ、公判を維持し、有罪判決を得ることが極めて困難な事案であると判断するのが当然である』旨主張する。」

(3) 三四五頁五行目の「ところで」から七行目の「みられるのであるが」までを「しかるところ、前記三2ないし4及び11で判示したとおり、結論としては、科学捜査研究所の右説明によっても原告らの血液型が検出されないことについての疑問点が解消される可能性は低いとみられるのであるが」と改める。

(三) 原告らのアリバイの検討等に関する検察官の判断の合理性について

原告らのアリバイについて検討するに、当初、原告Vから同原告と原告Zのアリバイ主張があり、Lがこれに沿う供述をし(甲一八一--2・3員面)、原告Yから同原告と原告W及び同Zのアリバイ主張があり、D子がこれに沿う供述をしていたこと(甲二八四--刑事第一審第二四回公判)、原告らは後にアリバイ工作をしていたことを認め〔V(甲一〇九--2・4員面)、W(甲一二六--2・9員面)、X(甲一四四--2・4員面)、Y(甲一六三--2・3員面)、Z(甲二四四--2・16検面)等〕、これを裏付ける関係者の供述が得られたこと〔V・Z関係につき--L(甲一八二ないし一八四--2・16、2・21、2・23各員面、甲一八五--2・26検面)、M子(甲一八七、一八八--2・3、2・17の各員面、甲一八九--2・23検面)、I(甲一九三--2・8検面)、N(甲三四九--2・17検面)。Y・W・X関係につき--T(甲一九九--2・1員面)、P(甲一九四--2・23検面、乙三〇--2・23員面)、O(甲一九六--2・23検面、乙二九--2・23員面)、R子(甲二〇一・2・16員面)、S(乙二八--3・9員面)〕などに照らせば、原告らに本件犯行当日のアリバイがないとした甲田検察官の判断に合理性がないとはいえない。

そして、公訴提起(但し、Vを除く原告ら四名が起訴された三月八日)後に調べられた証拠〔V・Z関係につき--L(甲一八六--刑事第一審第七回公判、甲二七一--刑事再審、甲三二二--刑事控訴審)、N(甲一〇九--刑事第一審第八回公判)。Y・W・X関係につき--T(甲三五〇--60・9・13検面)、S(甲二〇〇--3・15検面、甲二九一--刑事第一審第二九回公判)、角谷警察官(甲二一九--刑事控訴審第一三回公判)、武内警察官(甲二二四--刑事控訴審第六回公判)、I子(甲二九〇--刑事第一審第二八回公判)、D子(甲二八四、二八九--刑事第一審第二四、二七回公判)、R子(甲二八七、二八八--刑事第一審第二五、二六回公判)、K子(甲二九三--刑事第一審第三一回公判)、P(甲一九五--刑事第一審第一〇回公判、甲三一九--刑事控訴審第四回公判)、P’(甲三二一--刑事控訴審第八回公判)、O(甲三二三--刑事控訴審第一一回公判)、甲三三八(金星タクシー株式会社の運転報告書)。全体につき--証人岡本〕を考慮して検討しても、アリバイに関してはなお真偽不明というほかならないから、甲田検察官が公訴提起に及んだことについてアリバイを理由に合理性がないということはできない。

また、アリバイ証人に対する警察官及び検察官の取調べについては、Lの逮捕・勾留(甲一八〇、二七一、三二二)やP(甲三一九、三二一)及びO(甲三二三)が取調べ時に警察官に暴行、脅迫を受けた旨を訴えていること等、問題とする余地もなくはないが、右取調べ状況に関する角谷警察官(O関係につき--甲二一九)、武内警察官(P関係につき--甲二二四)及び甲田検察官〔全体につき--甲二二五(刑事控訴審第一六回公判)、甲二二六(刑事再審)、本件証人尋問〕の各証言に照らすと、右結論を左右するに足るものではない。

もっとも、二月一五日の取調べの際に、原告Yが甲田検察官に対して一旦本件犯行を否認し、その日のうちにそれを撤回したことがあるのは前示のとおりである。しかるところ、甲田検察官の証言(甲二二五、二二六、本件証人尋問)によれば、その間の経緯は、同日、甲田検察官は高石署で原告Yを取り調べ、その際Yの2・5検面(甲一六九)の訂正や、本件犯行の翌日の行動〔Tを殴ったこと・その夜門前町の家(C子方)でPらと酒を飲んだこと〕等を内容とする2・15検面(甲一七一)を作成し、検察庁に戻ったところ、高石署からYが一月二一日のアリバイを主張して本件犯行を否認しているとの連絡があったため、再度高石署に赴き、その日(二月一五日)二回目の取調べを行ったが、その際は調書を作成せずに、泉大津署に赴き、原告Wの取調べを行い、被害者を本件ビニールハウスに連行した状況や、門前町の家でOやPらと酒を飲んだ日のこと(それが一月二一日ではないことは確かだが、それより前だったか後だったかはっきり覚えていないこと)等を内容とするWの2・15検面(甲一三二)を作成した後に高石署に戻って、その日(二月一五日)三回目のYの取調べを行い、その際Yが一回目の取調べ後に一旦否認に転じた理由(一回目の取調べでは、門前町の家で酒を飲んだのは一月二二日であると話したが、その後、Pらが右飲酒の日が一月二一日であると口を合わせてくれれば、アリバイがあることになって、罪を逃れられるとの気持ちから、二回目の取調べでは嘘を言ったこと等)を内容とする2・15検面(甲一七二)を作成したというものである。右経緯に照らす限り、甲田検察官が原告Yのアリバイ供述に全く耳を傾けなかったとはいえない。そして、他に、甲田検察官には、検察官としての職責上、原告らやアリバイ証人の供述について実体的真実を解明する姿勢が欠けていたと断じ得る証拠はない。

(四) 尽くすべき捜査がされていないことと起訴の合理性について

原判決三五一頁五行目から末行までに示されているとおり、原告ら主張の捜査(タクシー会社への裏付け捜査、現場付近で悲鳴を聞いた者に対するさらなる捜査、陰毛の異同に関する捜査)がなされていないことが、直ちに検察官の判断の合理性の有無を左右するものでない。

3  まとめ

以上によれば、検察官の本件刑事事件の公訴提起が国家賠償法一条一項にいう違法な行為に該当するといえないことは、原判決三五二頁二行目から五行目までに示されているとおりである。

したがって、原告らの被告国に対する本訴請求は、その余の点(争点3)について判断するまでもなく理由がない。

七  原告らの損害(争点3)について

1  因果関係

被告府の警察官らによる原告らに対する自白の強要行為と本件刑事事件における未決(原告Zについては既決も含む)の身柄拘束との間に相当因果関係があることは、原判決三五二頁八行目から三五三頁四行目までに示されているとおりである。

2  身柄拘束期間

右身柄拘束期間が、原告V、同W、同Y及び同Xについては、それぞれ昭和五四年一月二七日(逮捕)から昭和六一年一月三〇日(無罪判決による釈放)までの二五六一日間、原告Zについては、昭和五四年一月二七日(逮捕)から昭和六三年六月二三日(仮出獄)までの三四三六日間(うち一九九五日間は既決)であことは、原判決三五三頁六行目から末行までに示されているとおりである。

3  刑事補償

右事実及び証拠(乙一、三)によれば、原告V、同W、同Y及び同Xが昭和六一年三月一七日に各金一八四三万九二〇〇円の刑事補償の決定を受け(当時の法定最高額である一日当たり七二〇〇円で認容された)、原告Zが平成元年六月八日に金三二二九万八四〇〇円の刑事補償の決定を受け(当時の法定最高額である一日当たり九四〇〇円で認容された)、それぞれ右金額を受領済みであることが認められる。

ところで、右刑事補償は、原告らの未決勾留及び原告Zについてはさらに懲役刑の執行による補償として(刑事補償法一条)、裁判所により、拘束の種類及びその期間の長短、本人が受けた財産上の損失、得るはずであった利益の喪失、精神上の苦痛及び身体上の損傷並びに警察、検察及び裁判の各機関の故意過失の有無その他一切の事情を考慮して、補償金額が定められたものであり(同法四条)、右金額の算定にあたり慰謝料的要素も考慮されているものである。

また、同法五条には、補償を受けるべき者が国家賠償法その他の法律の定めるところにより損害賠償を請求することを妨げないこと(一項)、他の法律によって損害賠償を受けるべき者が同一の原因によって刑事補償法によって補償を受けた場合には、その補償金の額を差し引いて損害賠償の額を定めなければならないこと(三項)が、それぞれ規定されている。

右にみた事情や刑事補償法四条、五条の趣旨に慰謝料の補完性(補充的作用)を併せ考慮すると、原告らの被告府に対する本訴請求は、警察官の前記違法行為による慰謝料を各三〇〇〇万円としそのうち各二〇〇〇万円の支払いを求めるもの(国家賠償請求)であるが、その目的は原告らが既に取得した右各刑事補償金で補償されなかった損害についての賠償を求めるところにあるものと解される。そうだとすれば、本件においては、原告らの慰謝料と財産上の損害の合計から原告らが既に取得した右各刑事補償金の額を控除(損益相殺)したうえで、これによって不足する金額が本件国家賠償請求のもとにおいて認容されるべき上限とするのが相当であり、結局、右不足分が原告らが本訴で請求している慰謝料のうちの未賠償部分となる。

この点について、原告らは刑事補償とは全く別に全額の慰謝料請求ができる旨の主張をしているが、右主張は採用できない。

4  損害額の計算

(一) まず、被告府の警察官らによる違法行為により作成された自白調書を中心的な証拠として公訴が提起され、その結果本件刑事事件における未決(原告Zについては既決も含む)の身柄拘束が継続されたことなど、本件の事実経過に照らすと、右違法行為による原告らの精神的損害は、原告V、同W、同Y及び同Xについては本件刑事控訴審判決(無罪判決)の確定(昭和六一年二月一三日の経過)時点、原告Zについては本件刑事再審判決(無罪判決)の確定(平成元年三月一六日の経過)時点において、それぞれ確定的に発生したものと認めるのが相当である。

そこで、原告らの慰謝料について検討するに、前記2の身柄拘束期間(右のとおり原告Zについては未決勾留のみならず、懲役刑の服役も含まれる)のほか、被告府の警察官らの本件違法行為の態様、原告らの年齢、身上、当時の生活態度、未決勾留と懲役刑の執行の違い、原告V、同W、同Y及び同Xについては身柄釈放(昭和六一年一月三〇日)後、原告Zについては仮出獄(昭和六三年六月二三日)後の社会復帰活動に伴う困難、その後の社会生活上の不都合等、諸般の事情を考慮すると、右違法行為によって原告らが受けた精神的損害を慰謝するための金額は、原告V、同W、同Y及び同Xについては各金一一五〇万円、原告Zについては金二一〇〇万円と認めるのが相当である。

しかるところ、右慰謝料の遅延損害金は、原告V、同W、同Y及び同Xについては本件刑事控訴審判決確定後である昭和六一年二月一四日、原告Zについては本件刑事再審判決確定後である平成元年三月一七日からそれぞれ発生すると解するのが相当であるから、右遅延損害金の起算日を原告らに対する最終起訴の日である昭和五四年三月八日とする原告らの主張は採用できない。

(二) 次に、原告らの財産上の損害については、前記2の身柄拘束期間において原告らが取得したであう収入をもって損害とすべきところ、前示の前提となる事実3及び証拠(項一〇五、一二四、一四一、一六一、二三二)によれば、原告Vは昭和三二年一二月二六日生まれ、原告Wは昭和三五年一〇月六日生まれ、原告Yは同年九月七日生まれ、原告Xは同年五月三日生まれ、原告Zは同年一二月四日生まれであり、原告らはいずれも男子で最終学歴が中学卒業であることが認められるので、当裁判所に顕著な賃金センサスの第一巻、第一表、産業計、企業規模計の小学又は中学卒業の男子の給与額を参考にして、原告らが身柄を拘束された右各期間に対応する各年度の賃金センサスの該当数値を積算して原告らが得たであろう平均的な収入に相当する金額を求めると、左記(別紙計算表(一)記載)のとおりになる。

(1) V 金一七五一万〇二三五円

(2) WYX 金一四八二万九五七七円

(3) Z 金二二一四万一〇七二円

(三) そして、右(二)の各金額に前記認定の各無罪判決確定(原告V、同W、同Y及び同Xについては昭和六一年二月一三日の経過、原告Zについては平成元年三月一六日の経過)時点までの年五分の割合による遅延損害金を加算(但し、損害は日々発生するものであるが、便宜、年毎にかつ年数単位で計算)すると、左記(別紙計算表(一)、(二)記載)のとおりとなる(一円未満切捨て)。

(1) V 金二〇六八万五二三二円

(2) WYX 金一七五〇万三三八九円

(3) Z 金二七八三万四三九三円

(四) 他方、原告らが身柄を拘束さていた間は、生活費の負担を免れた部分が存在することは否定できないところ、前記(二)の給与額の水準や原告らが独身であること、身柄拘束当時の原告らの稼働状況や生活態度等を併せ考慮すると、右給与額に基づいて計算した得べかりし収入の五割を控除するのが相当である。そうすると、原告らの財産上の損害(逸失利益)は、左記のとおり(それぞれ右(三)の各金額から五割控除のうえ一万円未満切捨て)となる。

(1) V 金一〇三四万円

(2) WYX 金八七五万円

(3) Z 金一三九一万円

この点について、原告らは、「原告らは身柄を拘束され自由を奪われる中(原告Zに至っては一部は刑の執行中である)で生活しており、生活費として必要とするものは少なく、低額な生活費しか必要としない生活を強いられたものである。死亡による逸失利益の場合のように、将来的な損害の賠償請求について、一般的に五割の生活費控除をすることは妥当であっても、本件の場合は過去に原告らが必要とした生活費はいくらであったのか、また、その生活は本人に選択の余地がなく本人が望んでしたものでないということを前提として計算されるべきである。本件の場合、身柄拘束中の原告らの生活状況を見るとその収入の三割もあれば十分生活できる程度の生活しか送れていないものであるから、生活費控除は三割が妥当である」旨主張する。

しかしながら、不法行為による「損害」は、不法行為(侵害行為)がなかったならば惹起しなかったであろう状態(原状)と不法行為(侵害行為)によって惹起されていることろの現実の状態(現状)との差異(原状と現状との差異)を金銭で評価すべきものであること、原告らが身柄拘束によって意に沿わぬ不自由な生活を強いられたとの点は、むしろ慰藉料の算定に際して考慮すべき要素であり、本件慰藉料の算定にあたり既に考慮済みであることに照らすと、その点も踏まえて三割の生活費控除をするべきであるとの原告らの主張は採用できない。

(五) そうすると、原告らの損害は、それぞれ前記(一)の各金額と右(四)の各金額の合計であり、左記のとおりとなる。

(1) V 金二一八四万円

(2) W、Y、X 金二〇二五万円

(3) Z 金三四九一万円

(六) そして、それぞれ右(五)の各損害額から前記3の支払い済み刑事補償金額(原告V、同W、同Y及び同Xが各金一八四三万円九二〇〇円、原告Zが金三二二九万八四〇〇円)を控除(損益相殺)して、原告らの損害で賠償未了の金額を求めると、左記のとおりとなる。

(1) V 金三四〇万〇八〇〇円

(2) W、Y、X 金一八一万〇八〇〇円

(3) Z 金二六一万一六〇〇円

5  まとめ

以上によれば、被告府が本件で賠償すべき慰謝料としての損害金は、原告Vに対し、金三四〇万〇八〇〇円及びこれに対する本件刑事控訴審判決(無罪判決)確定後である昭和六一年二月一四日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告W、同Y及び同Xに対し、各金一八一万〇八〇〇円及びこれに対する同日から支払い済みまで右と同割合による遅延損害金、原告Zに対し、金二六一万一六〇〇円及びこれに対する本件刑事再審判決(無罪判決)確定後である平成元年三月一七日から支払い済みまで右と同割合による遅延損害金となる。

また、本件事案の性質、審理の経過、認容金額に照らすと、弁護士費用としては、右認容金額の約一割をもって相当因果関係にある損害と認めるのが相当であり、原告Vは金三四万円、原告W、同Y及び同Xは各金一八万円、原告Zは金二六万円となる。

八  結論

以上によれば、原告らの本訴請求のうち被告府に対する請求は、原告Vにつき金三七四万〇八〇〇円及びうち金三四〇万〇八〇〇円に対する昭和六一年二月一四日から支払い済みまで年五分の割合による金員、原告W、同Y及び同Xにつき各金一九九万〇八〇〇円及びうち金一八一万〇八〇〇円に対する昭和六一年二月一四日から支払い済みまで年五分の割合による金員、原告Zにつき金二八七万一六〇〇円及びうち金二六一万一六〇〇円に対する平成元年三月一七日から支払い済みまで年五分の割合による金員の各支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、被告府に対するその余の請求及び被告国に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。

また、仮執行宣言については、相当ではないのでこれを付さないこととする。

よって、原告らの被告府に対する控訴に基づき、これと一部結論を異にする原判決主文第一なしい三項及び第四項中同被告に関する部分を右と同旨に変更することとし、原告らの被告国に対する控訴及び被告府の控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担については、民訴法六七条、六一条、六四条、六五条を適用して主文のとおり判決する。

(別紙)

計算表(一)

原告らの得べかりし収入

昭和、(注)、V、W・Y・X、Z

54年、(1)、186万9608円、139万1850円、139万1850円

55年、-、212万7000円、155万9100円、155万9100円

56年、-、222万4800円、222万4800円、222万4800円

57年、-、227万3700円、227万3700円、227万3700円

58年、-、287万4200円、232万7500円、232万7500円

59年、-、291万7200円、237万3600円、237万3600円

60年、-、297万4900円、243万0200円、243万0200円

61年、(2)、24万8827円、24万8827円、302万7400円

62年、 -、 なし、なし、303万2800円

63年、(3)、なし、なし、150万0122円

合計、-、1751万0235円、1482万9577円、2214万1072円

(別紙)

計算表(二)

遅延損害金

(V・W・Y・Xについては昭和61年2月13日まで)

(Zについては平成元年3月16日まで)

昭和、V、W・Y・X、Z

54年、65万4362円(7年間)、48万7147円(7年間)、69万5925円(10年間)

55年、63万8100円(6年間)、46万7730円(6年間)、70万1595円(9年間)

56年、55万6200円(5年間)、55万6200円(5年間)、88万9920円(8年間)

57年、45万4740円(4年間)、45万4740円(4年間)、79万5795円(7年間)

58年、43万1130円(3年間)、34万9125円(3年間)、69万8250円(6年間)

59年、29万1720円(2年間)、23万7360円(2年間)、59万3400円(5年間)

60年、14万8745円(1年間)、12万1510円(1年間)、48万6040円(4年間)

61年、なし、なし、45万4100円(3年間)

62年、なし、なし、30万3280円(2年間)

63年、なし、なし、7万5006円(1年間)

合計、317万4997円、267万3812円、569万3321円

計算表(二)との総合計

-遅延損害金を加算した額-

V、W・Y・X、Z

2068万5232円、1750万3389円、2783万4393円

注(1) 全員について身柄拘束期間は、1月27日からの339日間である。

V 201万3000円×399日÷365日=186万9608円

他の4人 149万8600円×399日÷365日=139万1850円

注(2) V・W・Y・Xの身柄拘束期間は、1月30日までの30日間である。

302万7400円×30日÷365日=24万8827円

注(3) Zの身柄拘束期間は、6月23日までの175日間である。

313万7400円×175日÷366日=150万0122円

(大阪高等裁判所第八民事部 裁判官 高山浩平 裁判官 長井浩一)

裁判長裁判官 上野 茂は、転補につき、署名捺印することができない。

(裁判官 高山浩平)

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